2017年08月17日

横浜帰省2日目(ほぼ山梨)

 まあやっぱり祖母も90になんなんとするということでね、前々から本人が色気を出している山梨での集いというやつをね、このあたりで実行しといてやろうじゃないか、なにぶん実現しないまま死なれたら夢見が悪いし、ということで、今回は僕が発起人となり、姉一家も巻き込んで、山梨行きが決行されたのだった。6月の神戸市立動物園もだったが、なんか近ごろ言い出しっぺづいている。偉いと思う。特に誰もそんなことを言ってくれないので、自分で言ってやろうと思う。
 実家から山梨県の甲府までは、車でだいたい2時間ほどなのだけど、なにぶんお盆であるために道が混むことは間違いなく、それを避ける意味や、避けられないまでもあちらの滞在時間をなるべく延ばす意味で、朝5時半にこちらを出発することになった。久々にそういう時間に起きた。近所に住む姉一家がやって来て、ポルガだけそちらの車に乗せる。姉一家4人+ポルガで5人。そしてこちらの車が、母と、ポルガを除く我々一家3人と、そして叔父という編成。叔父、来るんかい、乗るんかい、という話で、いや実家だからそりゃ行くのは自然なのだが、自主的には行かないのにこうやったら乗ってくるんかい、という苛立ちが多少募った。それで助手席に座り(運転免許を持っていない)、エアコンの世話も一切しなければ、高速代を気にする様子も見せないので、なんかさすがにこの人ちょっと変だろ、と思った。
 早朝の出発が功を奏したか、行きの道はそんなに混んでおらず、8時台には祖母の家に到着した。祖母の家は、島根に引っ越す直前くらいに行ったのが最後なので、5年ぶりくらい。過去の日記を振り返ったら、2012年の6月24日のことだった。そんなわけで、つまりピイガにとっては初山梨であり、さらに言えば姉の息子もまた初めての来訪とのことだった。ならばよかった。存命中に曾孫を集わせたという事実が作れて、本当によかったと思う。母親の実家は変わっていなかった。いまさら変わるはずもないのだった。旋回する階段の中腹、踊り場のように少し広くなっている一段に、かつて酒屋をやっていた時代のものだろう、酒販会社のロゴの入ったなんかしらの箱が積み重なっているのだけど、これは僕が子どもの頃からずっとあった。片付けようと思えば2分で片付くものなのに、なんかもう、箱のひとつひとつは癒着し、その癒着した箱の塔もまた、階段の踊り場の床に癒着してしまっているのだと思った。箱も階段も人間も、まさか30年以上このままの状態が保たれるとは思っていなかったに違いない。家というのは凄まじいものだな、と思った。
 家の探検およびひと休みをしたところで、こちらでの目的を果たすために繰り出す。目的はもちろん、お盆なんだからそれっきゃない、墓参りである。せっかく山梨まで来たのだから、もう後腐れのないように、するべきこと(祖母が望むこと)を、ひたすらにこなすのみである。墓はそこそこ遠く、車で1時間近くも掛かった。ちなみに天候は曇りで、行きの新幹線で見られず、「でもまあ山梨に行くんだから今回は間違いなく見られるよ」と話していた富士山が、今回とうとう見られずじまいだった。墓は3ヶ所も行った。いつもは2ヶ所なのだけど、今回はサービスなのか、僕や姉でさえ初めて行くような墓まで巡った。祖母の実家のほうの墓だということだった。そのあと墓の近くにある祖母の実家にも顔を出す。祖母の兄とその奥さんがいた。90になんなんとする祖母の兄は、もう90を過ぎていて、いま思えば60代や70代だった頃を知っているため、さすがに老いたなあと感じた。当時の少年が30過ぎでふたりの子どもを連れているのだから当然だけど。90過ぎで、さいきん目の手術をしたそうで、そしてそのすぐあとに「新車が欲しい」という話をしていたので、田舎はおそろしい、と戦慄した。
 墓参りを終えて祖母の家に戻ったあと、僕は少し仮眠を取る。帰り道はどうしたって大渋滞のようだ、ということが情報検索で明らかになってきていて、身構えたのだった。起きたあと、帰る前に、まだ16時台だったので夕食というわけでもないが、買ってきた鮨を食べる。祖母と義兄以外の面々は昨日が手巻きずしだったわけだが、祖母としてこのシチュエーションでの鮨は揺らがないものらしかった。でもまあ鮨なのでもちろんおいしい。とは言え酒が飲めないわけで、意義としてはだいぶ薄い鮨ではあった。
 そんなこんなで山梨来訪を終える。果たした感がある。やり時として、とてもよかったんじゃないかと思う。今回こうして曾孫を連れて行った以上、次にまた行くビジョンというのはあまり思い浮かばない。横浜で会えばいい。それにしても山梨の家というのは今後どうなっていくのだろうな。
 帰路も、行きと同じ車の編成。しかしながら、夜だし、やっぱりすさまじく混んでいるしで、行きとはぜんぜん違う世界だった。八王子に出るまでがとにかくひどかった。出発から2時間以上経って、まだ山梨県を脱出していないと気付いたときの絶望感と言ったらなかった。久々にこんな、今回は40キロという話だったが、そういうレベルの渋滞にまみえた。車内では野球中継を聴いていて(母親の車にはクラシックのCDしかなかった)、大渋滞の中、巨人の阿部慎之介が2000本安打を達成したのだった。まさか阿部の2000本安打がこんなに印象深いものになるとは思ってもみなかった。八王子に出るまでの絶望感たるやひどいものがあったが、渋滞特有の、あるポイントを抜けると一気に流れ始めるやつが八王子から始まり、そこからは早かった。しかし結局4時間半ほど掛かり、実家にたどり着いたときには22時を過ぎていた。大いに疲れた。ビールを飲んで寝た。どこまでも祖母孝行に丸一日を費やした形だった。
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2017年08月16日

横浜帰省初日

 というわけで3泊4日で横浜帰省をしてきた。
 12日の朝(9時台)の新幹線に乗って向かう。移動日の時間配分について、何年間も試行錯誤を重ねているが、今回のテーマは、「移動を午前中に済ませれば午後あちらでちゃんと活動できる」である。特に帰りの便なんか、ゆとりを持って午後の新幹線なんかにしたところで、体力の温存などを考慮してしまい、その午前中になにをするということもなくダラダラしてしまうだけなので、なんの意味もないと喝破したのである。というわけで昼過ぎには新横浜に到着した。いつもの通り、そのまま市営地下鉄であざみ野へ。街そのものは大して変化はなかった。しかし8ヶ月ぶりの関東の感じに、おお、となる。田舎者が上京した折に口走る「空が狭い」というお決まりのフレーズが、最近になってとてもよく理解できるようになってきた。特に地元のあたりは坂が多いため、上り坂で視界が塞がれると本当に狭く感じる。岡山と世界観がぜんぜん違うと思った。それとこれは、お盆の期間中やけに天候が冴えなかったせいだろうが、ずいぶんと涼しかった。
 家には母だけがいて、少ししたら姉とその子どもたちがやってきた。8ヶ月ぶりに見る姪と甥は、小学3年生の姪はほとんど変わっていなかったが、年中の甥は髪を伸ばしていて驚いた。これまで特別に短髪というわけでもなくオーソドックスな男の子くらいの髪だったのが、意思を持ってきちんと伸ばしているそうで、前髪はピンで後ろに流す感じになっていて、天然パーマなこともあり、ロン毛のサーファーめいていて、どうしても居住地的にそういう構図になってしまうが、「都会の子はしゃれてんなあ」と思った。そしていとこの4人は、8ヶ月のブランクなどまるでなかったように、自然な感じで遊びはじめた。その屈託のなさに、そんなものかなあと少し驚いた。母方にいとこはいないし、父方のそれともほとんど絡んだことがないので、8ヶ月ぶりのいとこという存在に対して、想像が追いつかない。
 子どもたちがそうやって遊びはじめたので、ファルマンと僕は恒例のブックオフへ。ただし行ってみたら、今年のセールは店舗によって違うようで、近所の店では全品20%オフのような豪気なことはしていなかった。残念。もとより絵本を買いまくる時期もそろそろ終わりの時期であり、ここ数年の往時とは較べものにならないくらい小規模に、何冊かだけ買った。
 そのあと夕方になって、叔父がやってくる。叔父はなんとなくお盆に横浜にやってくるな。冷静に考えたら、なんでやねん、お前の実家は山梨やろがい、という話なのだが、誰もなにも言わない。母も姉も、そして叔父のコミュニケーション能力の低さ、もとい超越に対して憧憬の念を抱いているきらいのあるファルマンも、叔父に対して甘いと思う。この人、来てもなんにもしないのだ。酒も飲まないし、家事も手伝わないし、姪や甥の子どもたちに小遣いもやらないし、食費を母に出している様子もないし、上げ膳据え膳で、本当にただ来て、いるだけ。なんなん、と思う。この60過ぎのふわっとした人に、みんなもうちょっと厳しくするべきだと思うのだけど。
 晩ごはんは手巻きずし。ここぞとばかりに、アボカドや、ひきわり納豆や、ツナや、たらこマヨや、オニオンスライスなど、邪道な小鉢をいろいろと繰り出す。それのおいしいことおいしいこと。堪能した。
 そしてその夜は早々に床に就く。移動の疲れによるものではない。翌日が4時半起きだからである。翌日は今回の横浜帰省のメインイベント、日帰りでの山梨来訪なのだった。今回、そういうことをしてみたのだった。
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2017年08月11日

帰省前の夏の一日

 世間一般がそうであるように、本日より連休に突入である。
 横浜への帰省は明日からということで、今日は特になんの予定もない。しかしずっと家にいては頭がうだるので、車で少し遠方の図書館に行ったり、実家へのみやげを購入したりした。頭がうだるのを避けての行動だったが、あまりの陽射しの強さに、やはりうだった。この時期、うだらずに暮すのは不可能なのだった。
 午後は先日に買った生地で、ピイガ用のビッグサイズヒットくん作りをはじめた。初号機を作った際の型紙は紛失してしまったので、初号機を模造紙の上に置いて、型を取る。70センチほどもある不思議な生きものを、白い面に寝かせて作業する情景は、やっぱり易々と不気味の谷を越えてくるのだった。夕ごはんを挟んで作業を続け、子どもたちが寝室に行ってから仕上げの作業をし、なんとか先ほど完成させた。性分として、もっとゆるゆるとした日程で作りたかったのだけど、横でピイガが「もうかんせい?」「もうできる?」と何度も何度も訊ねてくるものだから、帰省での中断を挟むことなんかは許されなそうで、柄になくスパッと終わらせた。やればできるじゃないか。3年前に作ったものより、少しペレットを入れ過ぎたようで、ちょっとだけ重たい。そしてパリッとしている。でも幼児の荒い扱いに晒され、こいつもすぐにクタッとなるに違いない。あとで寝室に行くとき、持っていって、ピイガの横に置いといてやろうと思う。これにてわが家のベッドの編成、天井から見降ろして左から、ポルガ、ヒットくん初号機、ファルマン、ピイガ、ヒットくん弐号機、そして僕。全体の3分の1はヒットくん。
 そんなわけで明日より横浜帰省。正月ぶりなので、8ヶ月ぶりということになる。しかもこの8ヶ月、姉一家がオンラインアルバムの更新を完全に停止させたため、本当に実家方面の誰の姿も見ていない。もう対面しても、向こうは(我々はせっせとオンラインアルバムを更新しているので)我々を認識できても、我々は彼らのことが判らないのではないかと思う。噂によるとみんなロックバンドのKISSにハマり、みんな普段からあのメイクを施しているというので、たぶん本当に判らない。不安だ。
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2017年08月09日

ブログはふたたび立ち上がる

 昨日の結婚9周年をきっかけにして、9年前の日記を読むということをして、それは「KUCHIBASHI DIARY」の時代になるのだけど、そうして久しぶりに読んだクチバシダイアリーが、殊のほかおもしろかったので、ショックを受けた。なんか瑞々しくて躍動しているのだ。それに較べて現在のブログはどうだ。よく言えばクール、悪く言えば枯れている。ブログの魅力としてどちらが上かと言えば、完全に当時のクチバシダイアリーだ。そのことを痛感して、なんだか哀しくなった。
 この原因はなにかと考えて、最初、クチバシ時代にはまだ一応、大学時代の人付き合いの名残りがあったり、近所に住んでいた友達夫妻の存在とか、そういうリアルな人間関係が存在していて、そういう意味でブログにもリアルな読者みたいなものが頭のどこかで意識されていたからではないか、と思った。当時から「友達がいない」ということはポツポツと口にしているのだけど、でもそれは現在の比じゃない。あの頃は、会おうと思えば友達と会うことができた。わざわざ連絡を入れて会うということは、まったくと言っていいほどにしなかったけれど、会おうと思えばいつでも会える距離感(練馬界隈)にあるという事実は、それだけで意味があるのだと思う。現在はそれがなく、人間関係が極限レベルに枯れているから、読み手が意識されることが一切なく、それゆえにブログにも華やぎがなくなってしまったのではないかと思った。
 それくらい、クチバシダイアリーは読者のことを意識しているブログだった。だからそのように思った。でももうしばらく読み進めて、そうじゃないと気付いた。
 リアルな人間関係どうこうという問題じゃない。これはそんな僕個人の問題ではない。何十日分か記事を読むことで、当時の空気感が伝わってきて、思い出されてきて、そして思い至った。
 この当時、ブログはウェブ界の花形だったんだ。
 SNSはあったけど、まだそんなに盛り上がっていなかった。インスタグラムなんてまだこの世になかったろうし、フェイスブックやツイッターも黎明期だ。いちばん流行っていたのはミクシィで、でもこれは繋がり機能が特化していただけで、内容そのものはブログとそう違わないものだった。あ、あとユーチューバーなんかももちろんいない。
 そんな時代のウェブ界で、最も輝いていたのがブログだった。当時ブログは輝いていたのだ。ブログであるというだけで、瑞々しく、躍動するものだったのだ。
 今はそれがすっかり廃れた。ブログそのものは根絶せず続いているが、スポットライトが他のものに完全に移った。だから現在の僕が当時のブログを読むと、友達に向かって書いているような愉しさがある、と感じるが、そうじゃない。当時のブログというのは、時代に向かって書かれているのだ。その、光の当たる場所に在るという自信や熱気が、当時のブログにはたしかにある。
 この状況がどこで転機を迎えたかは、とても判りやすい。東日本大震災である。あのときに、絆とか繋がりとかが病的に叫ばれるようになって、SNSの台頭が一気に来た。その前から来とったわ、と言われるかもしれないが、それはまだ個人レベルの話であり、時代が動いたのは確実にあそこだ。ちなみにクチバシダイアリーは、震災をきっかけにして、それまで何年間か続いていた毎日更新が停止し、そして発生から40日余りしたところで、12年間の充電期間に入った。そういう意味でも、クチバシダイアリーは時代と寝ていたのだな、と思う。ブログの興隆と衰退を、クチバシダイアリーは体現している。だとすれば12年間の充電が示唆するものとはなんだろう。2023年、ふたたびブログが脚光を浴びる時代がやってくるのだろうか。
 かつてのブログを眺めて、とても感傷的な気持ちになってしまった。地球を見つめて呟いた沖田艦長のように、万感の涙が湧き出てきそうだ。思えば遠くへ来たものだ。
 でも2023年までおとなしく待つわけにはいかず、ブログをやめるわけにはいかないので、今後もこの陽の当たらない「USP」を細々と続けてゆくほかない。感傷的だが、悲観的ではない。たとえ日陰でも、なるべく愉しくありたいと思う。まず手始めに、スキンを変えた。スキンって、クリックひとつで変更したあとは、なんの痕跡も残らないので、こうして記事の中で触れてもなんの意味もないのだが、そのことを解った上であえて書く。これまで、インスタグラムの影響か、画像があることが前提にされ、画像を中心に表示されて、画像のない記事にはわざわざ「NO IMAGE」という画像が貼られる、さらには芸能人ブログの影響か、記事の全文を読むためには1記事ずつ開かなければならない、そんなブログとしての矜持を完全に失ったスキンを、なぜか選択していた。この2ヶ月くらい。まずそれがダメ、と思ったので、記事全文がとにかくダーッと表示される、昔ながらのスキンに変更した。さらに言えば変更後のこれは、クチバシダイアリーでも使用していたものである。クチバシダイアリーはそこから少しカスタマイズしていた。当時の栄光(本人だけが実感しているものだが)に縋っていると言われれば返す言葉もない。でもこれは決して後ろ向きの行動ではない。そう言えばブログってこんなにおもしろいものだったんだ、ということを追い求めたいのだ、僕は。
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2017年08月08日

9周年

 8月8日は結婚記念日。
 ファルマンのことを見くびっていて、絶対にこの人はそのことを忘れているだろう、僕はちゃんと忘れずに労働終わりにケーキを買って帰り、びっくりさせよう、と数日前から考えていたら、昨晩に「明日は結婚記念日だねえ」と言われ、驚いた。ファルマンは、炊けたごはんをかき混ぜることも、お好み焼きにソース・マヨネーズ・鰹節・青のりをどういう順番で掛ければいいのかも、本当にすぐに忘れるので、暑い盛りの結婚記念日のことなんか絶対に覚えていないと思ったのだが、意外だった。
 というわけでサプライズではなくなってしまったけど、予定通りケーキを買って帰った。ホールケーキってんでもないが、カットされてるものを4つ買うのもナンだなあ、という気持ちにぴたりと寄り添う、長方形のあの感じのものを選んだ。ホールケーキを大、カットケーキを小としたとき、あの長方形のものの中加減は絶妙だなあといつも思う。サイズと、値段と、気持ちに、とてもピタッとフィットする。9周年ということで、併せて「9」のキャンドルをレジに出したら、「メッセージプレートもお付けしましょうか」と言ってくれたので、展示されていた「祝」と書かれたプレートをお願いした。「『おたんじょうびおめでとう』もありますけど」と言われたが、9歳の子どもの誕生日ケーキではないのだった。
 晩ごはんはとんかつだった。まあ揚げ物ならば間違いないのだった。
 そのあとケーキを食べた。スポンジに挿した「9」のキャンドルに火を点け、点けたはいいが、ハッピーバースデーのような歌があるわけでもなく、そこからの着地が難しい感じになった。「わあ」「おめでとう」「ありがとう」みたいなことを夫婦で口々に言い合い、さあ火はどうやって消そうとなって、ファルマンが「子どもに消してもらお……」と口にした瞬間、ピイガが迷いなく吹き消した。ポルガは出遅れた。ケーキはオーソドックスなショートケーキで、この時期、業者でなければ手に入れるのは難しい、きれいな苺がたくさん乗っかっていた。わが家のケーキ事情は、ご存知の通り、12月下旬から1月下旬に集中し、それから4月初頭にもいちおうあるが、そこから間がけっこう空くのである。なので久しぶりでおいしかった。
 そんなこんなで9周年である。9周年というのは、「来年は10周年だね」という気持ちをかき立てるだけの周年、と言ってもいい周年だと思う。とは言えめでたいのは間違いない。今後も愉しく暮してゆきたい。
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2017年08月07日

休日いろいろ

 休日ということで、でも外レジャーなんてできる気温ではなかったので、じゃあカラオケにでも行こう、という話になる。しかしいつものお店に予約の連絡を入れたら、午後からでないと部屋が空いていないというので(みんな考えることは同じなのだな)、午前中は手芸屋に行った。
 手芸屋では、生地を何種類か買った。ポルガが小学校で使うナップサック用と、ポルガの夏休みの自由工作用と、あとピイガのためのビッグサイズヒットくん人形用。3年前にポルガ用の70センチのそれを作っていて、ポルガは今も毎晩それと同衾しているのだけど、このたびピイガもとうとう「ほしい」とせがんできたので、作ることにしたのだった。ダブルベッドとシングルベッドと子ども用ベッドを3つ並べた所へ、家族4人で寝ていて、子どもは徐々に大きくなり、そして既にしてヒットくん人形が1体あるところに、もう1体ヒットくんがやってくるのか。やってくると言うか、僕が作るのだけど。時期的に、夏用の薄手の生地がそろそろ終わりになるらしく、その在庫入れ替えのためか、全般的にわりと安くなっていてよかった。ただし大きい人形を作るときのネックとして、ペレットが高い。でもないとどうしようもないので買った。
 それからいったん家に帰り、天ざるで昼ごはんをしてから、ふたたび出る。
 そしてカラオケ。今回はとてもいい具合に、子どもたちは前半ひとしきり唄ってから、後半はキッズスペースで思いきり遊ぶという、理想の形になった。というわけで僕が唄ったのは、「タッチ」(岩崎宏美)、「俺あ東京さ行くだ」(吉幾三)、「気づいたら片想い」(乃木坂46)、「巡恋歌」(長渕剛)、「光合成希望」(西野七瀬)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「桃色片想い」(松浦亜弥)、「君は薔薇より美しい」(布施明)、「スカート、ひらり」(AKB48)、「夏にご用心」(桜田淳子)、「十七の夏」(桜田淳子)といったところ。こうして見ると、珍しくアニメソングが少ない。アイドルソングに偏向している。「瀬戸の花嫁」は平尾先生の追悼。布施明や桜田淳子といったあたりは、もう歌詞がすっかり頭の中に入っているため、モニターを見る必要がなく、そのことをアピールする意味も込めて、モニターの真ん前に立って客席に向かって唄う、ということをする。そしてその状態で唄っていると、歌詞を目で追う動作がなくて楽なためか、歌に合わせて自然と身体も動くのだった。それを、妻に向かってマンツーマンでやりながら、こんなんめっちゃお調子者の、盛り上げ役の、カラオケ慣れした、友達がたくさんいる輩のやるやつじゃないか、と思った。そんな僕なのに、絶望的なまでに友達がいないという、このうまいこといってなさ。夫を若くして亡くし、まだまだ潤いを求める身体を持て余す未亡人のような、準備だけはできているのに相手がいないという、この感じ。夜ごと夫の位牌を使って雌の発情を慰める未亡人のごとく、僕にできることと言ったら、スタップフレンズとの交流を捏造することだけだ。そうだ、こんどスタップフレンズたちとカラオケにでも行こうかな。そして最後にみんなで「We are the world」を唄いたい。
 家に帰って、晩ごはんはお好み焼き。かなり久しぶりのような気がする。僕の作るお好み焼きは、相変わらずやけにおいしい。コツは卵を多めにすることと、キャベツに対して生地を少なめにすること。
 夜に、ファルマンにヘアカラーをやってもらう。先日、去年の日記を読んでいたら、最初のブリーチが去年の8月のことだった。なんだかんだで1年なのだ。1年間、ブリーチやらカラーやらを2ヶ月にいちどくらいのペースで繰り返し、何度もそれに晒された毛先のほうはずいぶんと明るい色になって、それでいて根元のほうは黒い、という状態になっており、なんだかもうそろそろ髪色を明るくすることの気も済んだので、ここらでいちどトーンダウン、黒よりも若干明るいくらいの、秋口らしい濃い栗色みたいな感じにしようと、そういうカラーを選んで買ったのだった。それでやった結果、毛先の金髪と根元の黒髪のギャップはいくらか是正されたものの、思ったよりぜんぜん暗くはならなかった。考えてみたら深みのある濃い茶色に仕上げるようなヘアカラーも、黒髪からその状態に持ってくるためには、脱色の作用が必要になるわけで、ちゃんと「黒髪もどし」みたいに謳っている商品でなければ、髪の色は決して暗くはならないようだ。でも仕上がりとして悪くない色だったので、まあいいかと思った。やっぱり1年にわたって繰り返してきただけあって、一朝一夕の施行では出せないような、多層的な色味になってきているような感がある。さあて本当にいつまで続けようかな。やめ時が思いのほか難しい。
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2017年08月04日

14歳の無邪気さと33歳の屈託の共存

 水着は裸、ということを昨日言ったけれど、逆にこうも言えると思う。
 裸は水着。
 15歳の誕生日をまだ迎えていない僕には、女性の本当の裸、水着の下にある(らしい)ラズベリー色の部分は刺激が強すぎて、水着がもう極限、水着でもう充分に裸、みたいな感じがあるけれど、そんなウブな僕であるからこそ、地球の自転の音は大きすぎて人間の聴覚では逆に聴こえないみたいな感じで、もしも目の前にラズベリー全開の、すなわち素っ裸の女の子がいたらば、僕はそれを女の子の裸だと知覚できず、そういうデザインの水着だと思うのではないだろうか。そういう意味で、裸もまた水着だと思う。いつまでもそんな僕でありたい。無邪気に、どこまでも無邪気に、乳輪の大きさとか、陰毛の濃さとかを、水着のデザインと勘違いし続けたい。

 読んでいた小説で、相手になにかを指摘された主人公が、『同じことを別の友達にも言われた』と言う場面があって、それはもちろんぜんぜん劇的な場面ではなかったのだけど、僕はとても衝撃を受けた。
 こちとら、ひとりの友達もいなくて汲々としているのに、複数の友達が自分に関して同じことを言ってくるだって? なんだ、その恵まれた環境は。そもそも『別の友達』という表現がすごい。ありえない。さらっと言う内容ではないと思う。『ゆっこにも言われた』じゃなく『別の友達』と言うからには、自分に対してそれぞれ違う場面で同じことを言ってきたふたりの友達というのは、直接的な友達じゃないということだ。自分を通じて繋がっているが、一方は中学時代の地元の友達、一方は職場の元同僚みたいな、そういうことだ。うん、解ってる。解って言ってる。これ、たぶん普通のこと。よくあること。まっとうに人生を歩んでいたら、自然発生的に起るようなこと。でも僕には起っていないわけで、だから衝撃的だった。
 だって、自分に対してまったく同じ内容のことを指摘した、それぞれの友達、引き合せたらすごく高い確率でそこにも友情が発生するじゃない。わりと気が合うことが約束された状態じゃない。そうして、輪っかがどんどん重なって、融合して、伝って、広まるわけじゃない。そのズルさ。常連客にだけ出てくる裏メニュー&特別価格みたいな、資本主義的既得利権による人生イージーモードみたいな、そういうズルさがある。「友達ってね、気づいたらもうなってんの!」を思い出す。なんか、そういうゾーンというのがたしかにある。友達が作られやすい環境というのは、スポットで発生して、その埒外にあるといつまでも作ることができない。そしてそのスポットというのは、エリア内で友達関係の輪っかがみるみる拡大して強固になるのに対して、なぜかスポットそのものの領分を広げることは一切せず、むしろその『友達ができやすいWi-Fiスポット』への新規参入を拒むかのように、頑強な柵のようなものを作り出す。まるで友達がいない・できない人間はウイルスに感染しているとばかりに、接触を遮断しようとする。被害妄想じゃない。本当に。
 悔しい。その人脈、まさに脈々とするその感じ、窓から見える、暖炉であたためられた部屋のぬくもりと愉しそうな鍋パーティーの様子が悔しい。
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2017年08月03日

15の夏

 暑くて参っている。夏が暑いのは毎年のことだけど、どうも今年は違うテイストを感じている。なんと言うか、暑さに華やぎがない。暑さって、もっと能天気で問答無用でどうしようもなく、その放埓さにこっちも、ダメージを受けながらも興奮してしまう、みたいなものであるはずなのに、なんだか今年の夏は淡々と静かな気がする。盛り上がらない暑さ。もちろん数字上では猛暑日を連続で記録しているのだが、なんて言うんだろう、フィギュアスケートにおける、ジャンプとかスピンとか、そういう技術的な部分はたしかに上手にこなしているのだけど、演技に色気がないみたいな感じで、どうにも魅力的でないのだった。せっかく暑さで疲弊する夏なのだから、せめてきらめけよ、と思う。要するに、ただダレている。ただただ爛れているのだった。この原因はなんだろうと考えて、普通に考えたら、年齢を重ねたことでこちらの体力が低下し、もう夏の攻撃に対して立ち向かう気力が完全になくなってしまったから、ということになると思う。もう人生における、夏にはしゃぐ時期を過ぎてしまった。たぶんこれが事実。きちんと言葉にしたらとても哀しい気持ちになったが、事実なのだから仕方ない。

 夏と言えば水着の女の子で、そこに救われたい気持ちがある。他人とコミュニケーションを取るのが苦手で、自分の殻に閉じこもりっ放しの少年が、大好きな絵を描くことで救われるみたいな感じで、水着の女の子に救われたい。またそんな少年の描く絵が、往々にして圧倒的に素晴らしいものであるように、僕の水着の女の子を愛でる気持ちもまた、圧倒的に素晴らしくあればいいと思う。なんか原色のドットが何万も重なって、ひとつの巨大なモザイク画になるみたいな、なんかそういう偏執狂的で感動的な絵のような、そんなイメージ。僕の夢想する水着の女の子もまた、モザイク模様に彩られる。
 でも大事なのは、水着の女の子にはモザイクはいらない、ということなのだ。違う。たとえショーツをずらしてもモザイクを掛ける必要はない、ということを言っているのではない。水着の女の子の水着は、水着の女の子の身体から剥がれなくていいのだ。限りなく裸に近い(それなのに見せてくれる)姿としての水着、ということが言われるけれど、それは水着の女の子の捉え方として、邪道なのではないかと思った。水着は裸への通過点ではなく、実はもうそこがゴールだったのだ。「裸」を、女の子の最終的な状態とするならば、水着は裸なのだ。大事なことなので2回言います、みたいな言い回しがあるけれど、それはもう使い古されているのでしない。その代わり、文面で伝わるか疑問だが、ゆっくりと言いたい。
 水着は、裸。
 だからもうその先はないのだ。いや、あるよ。あるけど、それは僕の与り知らない部分であって、だからそれはもう「ない」としたほうが賢い。どうも噂によると、水着の下にも女の子の素肌というものはあって、そこにはチ……チクビ? というものや、イ、……インモウ? とか、イ、……インシン? ク、……クリトリス? などという存在があるらしいのだが、定かではない。もちろんあったらいいなと思うが、心底それを信じているかと問われると怪しい。頭の中の水着の女の子は、たびたびアクシデントに見舞われ、ビキニの紐がほどけたりするけれど、そうしてビキニが女の子の身体から剥がれそうになると、レモンイエローとスカイブルーとチェリーピンクのトリコロールの煙がモクモクと湧き上がって、女の子の身体を包み込んでしまう。そしてしばらくしてその煙が晴れると、女の子はレモンイエローとスカイブルーのストライプにチェリーピンクのパイピングがなされたビキニを身に着けている、という寸法。ちぇー。
 水着の女の子の、その感じをこそ愛したい。脱がすだの、いやあえて脱がさずにずらしてだの、そういうセックス的な発想に至らない、15禁くらいのスタンスで水着の女の子を慈しみ、加齢による夏の絶望なんかふっ飛ばしたい。もはや年齢を半分に割っても15歳にならないけれど。
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2017年07月30日

8泊9日

 ひとり暮しがようやく終わった。
 始まる前は、日々の鬱憤が溜まっていたため、別れ際にファルマンから「顔がニヤけてるよ」と指摘されるほどに愉しみにしていたが、離れたら離れたでやはり恋しく、結局「人間はないものもとめが大好き」なのだなあ……、と改めて相田ファルマンの言葉が胸に沁みた。
 それで本日、1週間ぶりに再会する家族を迎えに、さすがに島根までは行かないが、島根と岡山の中間地点として、広島県の世羅という所まで行ってきた。義父が1時間40分ほど掛け、僕が1時間20分ほど掛けて、かの地の道の駅で落ち合い、そこで荷物と乗員の移し替えを行なう、という寸法なのだった。初めての試みだったが、これはなかなかよかった。お互いに田舎在住者であるため、片道1時間半程度の運転は、それほど大儀じゃない。これが3時間になるとガッツリ感があるが、1時間半だと、ぜんぜん日常の範囲内になる。だから双方とも(もちろん義父と語り合ったわけでもないが)、とてもライトな感覚で役割を果たし、ファルマンと子どもふたりの帰還を成すことができた。この、僕だけ1泊2日で、妻子は8泊9日とかする帰省のやつは、これから幾度も実行されるに違いないので、この方式はとても有用だな、と思った。
 かくして世羅から、家族を乗せた岡山まで帰った。恋しさが募っていた妻および子どもたちだったが、1時間20分の道程の、前半40分くらいは幸福感があったものの、後半の40分は、「これまで静かすぎて寂しくて、念願の子どもたちだけど、それにしたってここまでうるさいもの!?」と早くも若干げんなりした。凪と大荒れの、中間がこの海にはないのか。ないのだ。子どもにそんな目盛りなどない。オンかオフかの、パチッ、パチッというスイッチしかない。かくして再びスイッチオンの日々が始まった。それは1週間前までと同じ日々ということだけど、オフ時の寂しさを痛感したことで、少しは子どものガチャガチャさを受け入れられる容積にも余裕が出たのではないかな、妻子だけの1週間帰省にはそういう効果があるのではないかな、と思った。
 帰宅して、午後はのんびりと過す。「前半と後半で車が違うから、気分が変わって3時間も車で移動した気がしない」とファルマンは言ったが(おもしろい感覚だ)、それでも事実として3時間の移動はあったし、そもそも実家でのんびり過したと言っても、1週間の滞在の後に自宅に戻れば、ふぁーっという気持ちになるだろう。子どもたちもわりと早く寝た。明日からは通常の生活が再開する。
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2017年07月28日

一線

 元SPEEDの衆議院議員の不倫疑惑報道の、「一線は越えていない」が、どうしたって愉しい。今日は労働中、わりとずっとそのことを考えていた。それで家に帰ったら、ウェブ界のゲスどもも「一線は越えていない」に対して同じような反応をしていて、急につまらない気持ちになった。知らない人も同じことをしていると思うと、途端に汚らわしく思えてくる。ハッシュタグで遠くの人と繋がりたいとか、そういう思いは僕には一切ないのだなと改めて実感した。元SPEEDの衆議院議員の「一線は越えていない」をいじくってもいいのは俺だけだ! と、カカロットに対するベジータのような屈折した感情が湧いた。元SPEEDの衆議院議員に、それほどの感情もないのだけど(当時モーニング娘。派だったし)。
 それで、やっぱりどうしたって気になるのは、「一線」ってなんだよ、ということで、それはもちろんセックスということになるのだけど、じゃあそもそもセックスってなんだよ、という話になってくる。
 セックスとはなにか。なにをしたらセックスか。
 この問いかけは、今回のような不倫の話題としてよりも、むしろ童貞喪失の話題において出てくるものだ。だから今回も、それを軸にして考えたらいいのだと思う。
 やはり挿れたら童貞喪失=セックスである、というのが一般的だと思う。このとき女の子に処女膜があるかどうかはもちろん問題ではない。しかし挿れた時点でセックスだとしたら、抽送行為や、抽送の末に中で果てることはセックスの条件に入らないのか、という疑問が出てくる。あるいはコンドームをしていてもいいのか、とか、アナルセックスはどうなんだとか、アナルでも童貞喪失になるのならオーラルでもオッケーということにならなければ理屈としておかしいとか、オーラルがオッケーならば手でしてもらうのだってそう変わらないし、手でしてもらうのがアリなら、こちらが女の子の身体に勝手に押しつけて射精するのだってほぼ一緒のことではないか、ということになる。そんな風に、童貞喪失=セックスの定義は難しい。蛭子能収に至っては「恋をした時点で童貞喪失」と言ったという(という知識だけが僕の中にあって、このテーマのとき必ずと言っていいほど引用するのだが、もはや出典がまるで判らず真偽が定かでない)。これはたぶん、恋にしろセックスにしろふたりで行なう行為は、片方(すなわち自分)が強く求めれば、全体の5割が達成されたことになるので、四捨五入をすれば十割となり、事実上その時点でその願望は成就しているのだ、という理屈に拠るものだろうと思う。そういう考え方もある。
 その考え方に照らし合わせたら、今回のホテル連泊なんていうのは、もうセックス中のセックスだ。セックス以外の何物でもない。挿入しているとか射精したとか、そういう問題じゃない。部屋に入った時点で、でさえない。ネットで予約を申し込んだ時点ですでにセックスだし、実際に予約を入れる前の話し合いの時点でセックスである。そもそも、身も蓋もないことを言ってしまえば、ホテルに連泊するような間柄のふたりは、このホテルに連泊する前から、互いの自宅とかでセックスをしている。だから、なにをいまさら感がある。逆に、そんなあからさまに肉体関係にある人間の唱える「一線は越えていない」は、もしかすると我々には想像もつかないような、とてつもない一線なのではないかとさえ思えてくる。そう考えると夢が膨らむ。この夢勃起こそ、今回の「一線は越えていない」というフレーズの恩恵だ。
posted by papiro at 22:04| Comment(0) | 文章 | 更新情報をチェックする