2017年10月22日

ザ・ピース

 台風が近づく中、カラオケに行くことにした。思えば前回のカラオケも同じ状況だったな。プロペ家は台風が来ると唄いたくなる習性があるのかもしれない。
 カラオケ店に行く前に、ポルガの通う小学校に立ち寄り、衆議院選挙の投票をする。総選挙ってただでさえ国全体を巻き込んだ大ごとなのに、そのうえ投票日がこんな天候だと、なんかもうそこに費やされる労力ってとんでもないなと、泥のようになったグラウンドでずぶ濡れになりながら車の誘導をする係の人を見つめて思った。
 カラオケでは、ファルマンと子どもたちがキッズスペースに入り浸ってしまったため、全2時間のうちの1時間近くを、ひとりカラオケのように過した。そして以下のような歌を唄った。「としごろ」(山口百恵)、「俺のおかげさ」(尾上松也)、「キャンディキャンディ」(堀江美都子)、「流動体について」(小沢健二)、「どこまでも」(屋比久知奈)、「ホットミルク」(吉川ひなの)、「はじめての出来事」(桜田淳子)、「あなたの好きなところ」(西野カナ)、「ボルテスⅤの歌」(堀江美都子)、「サインはV」(麻里圭子)、「どこまでも」(2回目)、「流動体について」(2回目)。ひとりカラオケなので、いちど唄った歌をもういちど唄うことも気兼ねなくできる。今回は珍しく坂道らへんの歌はひとつも唄わなかった。それから戻ってきた家族とともに、「モアナと伝説の海」から「いるべき場所」を唄ったり、「どこまでも」(同題なのでまぎらわしい)の別のバージョンを唄ったりした。とにかくいまプロペ家では「モアナと伝説の海」が大ブームなのである。「いるべき場所」では、モアナの父を僕が、モアナをポルガが、モアナのおばあさんをファルマンが担当した。ファルマンがさすがのおもしろさだった。
 カラオケを終えたあと、ショッピングセンターの駐車場から出ようとしたら、すぐ近くの車がプププッとクラクションを鳴らしてきて、しかもそれが黒の普通車だったので不穏な感じがあり、えーなにこれ、こすったやないか、みたいな因縁をつけられるタイプのやつかよ、勘弁してくれよ、と思ったら、職場の同僚だった。田舎の車乗りはとても気軽にクラクションを鳴らす。よしてくれよ。
 そのあと少し遅めの昼食で、うどんを食べて帰った。「選挙の日って投票行って(カラオケ行って)外食するんだ」だ、と思った。
 晩ごはんはたこ焼き。ポルガに週末、「食べたいものはあるか」と訊ねたら、百発百中で返ってくる答えの、たこ焼き。それほど熱烈なリクエストを受けたところで、結局こちらが「まあたこ焼きを食べるのもありかな」と思う気持ちが高まるまで、決して実行されないのだが、今日がようやくその日だったわけである。やると、子どもたちの反応はいいし、まあおいしいのだけど、やっぱり普通の料理よりは疲れる。あんまり滅多にしたいものでもないなあ、と思う。あといま気付いたが、来週に例の義妹の引っ越し先の明石に行く予定なのだが、向こうでの行動候補のひとつであった明石焼きが、これでほぼ消えた気がする。たこ焼きと明石焼きは別の食べ物であり、ソースか出汁か、という味付け以前に、小麦粉ベースか卵ベースか、という素材の時点からぜんぜん同一ではないのだが、しかしそうは言ってもどちらも球状で、中にはたこが入っているわけで、どうもなあ、という感じがある。明石焼きには悪いけれど。
 まあそんな感じの休日。雨が降り続けていた休日。明日は昼前あたりから台風一過だろうか。台風とともに、この短くも濃厚だった選挙戦も過ぎ去る。支援者、後援者の方々には大変お世話になりました。また一からスタートです。
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2017年10月19日

秋口のバルーンスカートいい女

 
 
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2017年10月15日

悩ます

 これまで大阪に住んでいたファルマンの上の妹一家が、このたび明石に引っ越しをするとのことで、今月末の週末に新居へと、手伝いなんだか子守りなんだか、どうなることかよく判らないが、参上することになった。日帰りだが、6月に決行した神戸の動物園よりもいくらか岡山寄りなので、移動に関する不安はない。
 目下なやんでいるのが、僕は新居に行ったって仕方がないので、ファルマンと子どもたちが当地で作業をしている間、自由行動を取るつもりで、じゃあ一体なにをして過そうか、ということである。明石というのもそれなりに悪くなさそうだが、その気になれば神戸にも電車ですぐに行ける距離感であり、それもまたありだな、なんてことを考えている。それで、図書館で神戸や兵庫全域の観光ガイドブックを借りてきて、眺めている。
 でもこういう観光ガイドブックを眺めたりするたびに、このワクワクした気持ちに伴わない、自分の中の冷めた気持ちに気がついてしまい、戸惑う。せっかくの知らない街、せっかくの単独行動なのだから、目一杯たのしもうと逸る思いばかりが高まって、それを充足させる手立てが何も見つからないのである。落ち着いて考えてみたら、僕は、景色も、グルメも、ショッピングも、実はそんなに興味がないのだ。だって別に、そういうものがまるでない田舎の寒村から出てくるわけではない。岡山にだってそれなりにスポットはある。そしてそれは当然、神戸よりもはるかに低いハードルで行けるのである。でも行かないじゃないか。さらには、そんなこと言ったらかつて僕は練馬区に住んでいたのだ。東京のどこにだって行けたのだ。でも行かなかったじゃあないか。
 どうも嫌な予感がしてきた。たぶん、なんとなく神戸の三宮あたりに出て、繁華街をブラブラし、でもチェーン店じゃない店でひとりでごはんを食べる勇気もないし、閉鎖的な雑貨屋に入店する度胸もないしで、なんとなく歩き続け、港のほうに出て、海を一瞥し、そんで三宮駅にとぼとぼ戻るみたいな、なんかそのくらいの感じで終わりそうな気がする。この予想のリアルさと来たらどうだ。伊達に僕は僕という人生を34年も送っていない。海を一瞥、というあたりが本当にリアルだ。
 困った。もうこうなったらフォロワーさんたちに助けを求めるしかない。神戸および明石エリアに詳しいフォロワーさん! それならここに行ったらいいよ、というあなたのおすすめのスポットがありましたら、ぜひ教えてください! 絶対に行きませんから!
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2017年10月12日

ST恒例USP恒例

 「SEVENTEEN」の9月号は毎年恒例のアンケート企画で、今年も興味深く読んだ。
 まずボディサイズだが、『身長……157,9センチメートル』は、2年前に較べて0,1センチメートル伸びた。『体重……48,8キログラム』は+0,4キログラム。そしてスリーサイズは『バスト……79,6(79,3)』『ウエスト……62,0(63,1)』『ヒップ……86,0(85,7)』。()内は2年前の数字。つまり、おっぱいとお尻は少しだけ大きくなり、ウエストはしぼられたわけである。誰にとってもハッピーな結果になった。たまたまかもしれないけど、全体の平均値が過去の数字に較べていい方向に進むって、なんだかとても多幸感のあることだな、と思った。失われた20年の、右肩下がりの時代を歩んできた身として、そういう体験をあまりせずに生きてきたので、かつての高度経済成長の時代とはこんな気風だったのかもな、と感じた。
 また今回、1年前の特集でやっていたような、男子への同様のアンケートというのはなかったのだが、別の企画ページで「オレたちの理想の彼女」というのをやっていて、もちろんあえて同月に当ててきたのだろうが、その回答結果とアンケート結果を比較するのも一興だった。それによると『理想の身長は158センチメートル』、『理想の体重は47,1キログラム』とのことで、身長は見事ピタリの一方、体重には2キロ近くのギャップが出た。だけど、女子の現実と男子の理想の、体重におけるそのギャップって、なんか爽やかだな、と思った。ここがぴったりだと、たちまち情趣に欠けると思う。そこに差異があるからこそ、空気の温度の違いが風を生じさせるように、いろいろな事柄が動き出すのだと思う。またこれは、カップ数についての現実の女子へのアンケート結果が『Bの70』であるのに対し、男子の理想が『Cカップ』である、ということについても言える。体重は2キロ近く軽いのが理想なのに、おっぱいは現状よりも大きいのが理想。ひどい話だ。男子バカじゃないの、という話だ。でもこれもやっぱり、そうであるべきだと思う。STによるJKアンケートに限らず、国民単位でこういったアンケートを行なって、女性の現実のカップに対し、男性の理想のカップがそれを上回らないような国は、早晩ついえるに違いない。現実の女の子のおっぱいが、こっちの求めるおっぱいよりも往々にして小さいから、みんな一生懸命にきちんと生きていこうと思うのだと思う。
 他のアンケート結果。『起きる時間……(平均)6時27分』。時刻の平均というものを、どういう計算式で出すのかよく判らないけれど、なんかいい数字の並びだな、と思った。たしかに、言われてみると女子高生は6時27分に起きそうだと思う。僕はいつも6時27分よりも早く起きているので、毎朝その時刻に着目し、全国の女子高生が平均的に目を覚ますと言われるその瞬間を、きちんと味わおうと思った。ちなみに『就寝時間……23時51分』だそう。こっちは別に感動しない。
 『おこづかい……3626円』というのは想像よりも少ないと思ったが、『月々のスマホ代の平均……6981円』とのことなので、じゃあ実質1万円超えじゃねえか、と思った。
 そんでもって肝心かなめの、色恋方面の設問。デートとか告白とか、そういうのはもういい。大事なのはとにかくこれだ。『Hしたことある? ……YES6,6%、NO93,4%』。同じ設問の、2016年のNOが93,9%、2015年が93,7%なので、この結果にはアンケートとしての質の高さを感じさせる。この数字のバラつきのなさに信憑性がある。こうなるともう、女子高生の処女率というものは、93,5%前後で確定なのだ。これはもうどこに出しても恥ずかしくないデータだと言える。併せて『初Hは何歳?』という問いには『15,8歳』という結果が出ているが、これは18歳以下を対象にしたアンケートの、全体の6,5%の子に訊ねた結果であるため、どうしたってこういうことになる。これはこれで味わいのある数字だと思う。17歳や18歳で処女を失った子もいるだろうに、平均すると15,8歳。この0,8がいい。だって初Hの年齢という質問に対して「17歳」と答えた子と「15歳」と答えた子がいても、「15,8歳」にはならないのだ。電卓を使っていろいろ数字を試したところ、79÷5が15,8なので、これはその79を5人の少女がどう分配するか、という話なんだと思う。16+16+16+16+15でもいいが、ひとりの16を17にすると、別の16が15になる必要が出てきて、さらに言えばひとり18なんかが出てきてしまうと、15,8という解を導き出すためには、14を担ぎ出さねばならなくなってくる。そういうことを考えだすと、5人の少女のそれぞれの破瓜の物語が自然と浮かび上がってきて、とても満ち足りた気持ちになってくる。14歳からパコってるリナリナも、18歳でやっとHしたゆりっぺも、みんな違ってみんないい。なにがいいって、みんなちんこを体の中に受け入れたところがいい。最初こわかったろうに、よくがんばったね。
 あと、そうなんだよこういう情報が欲しかったんだよ、と膝を打ったミニコラムがあり、都道府県別での調査結果のバラつきについて触れられていたのだった。それによると、「今彼氏がいる」率が50%超えをしていた県がひとつだけあり、それは大分県なのだという。大分! 大分に関しての僕の情報のなさ! その文章を目にして想起される大分のイメージというのは一切なく、もしかするとこの事実こそが、僕が生涯で初めて仕入れた大分情報かもしれない。ずいぶんハッピーな印象だな。ちなみに最低は広島県で、なんと3,9%だそう。50%超と3,9%。そんなことってあるかよ、というくらいの数字の開き。広島の女子高生のガードの高さが際立つ結果となった。だとすれば、オスの三毛猫が珍しいように、女子高生の彼女がいて、それが広島県の女の子であった場合、とてもレアだということになると思う(人口比にもよるけど)。そしてそれよりも刮目すべきは、H体験率についてである。上記の、平均6,6%という結果が出たその問いである。これが、「10%を切る県がほとんどの中、富山と群馬が驚異の20%超え」とのことで、なんかこの情報は、僕の人生にとって、とても有益であるような、あるいはぜんぜん無関係であるような、ちょっと混乱していて判断がつかないのだけど、とにかく非常に衝撃的なものだと思う。だって20%超え。6,6%に対しては、「まあたしかに学年の一部にそういう輩っていうのはいたよね」と平然としていられたのが、20%超えとなるとそうはいかない。だって5人にひとりはもう体験済みなのだ。クラスの女子が16人だとすれば(あえて15人にしない)、その中の3人から4人はセックスをしているということになる。う、うちのクラスの女子の、さ、3人から4人は、すでにおなかの中にちんこを入れたことがあるだって!? ざけんな! 口ではきれいごと言いやがって、合唱ではエーデルワイスを一緒に唄ったし、文化祭ではクレープ屋をみんなでやって、11月に小田センが産休に入るときは黒板アートだってやったのに、あいつらの3人ないし4人は既に非処女だったってのかよ! なにがかわいい赤ちゃんを産んでくださいだよ! お前らはコンドームをして、小田センはしなかった。ただそれだけの話じゃないか! 化かされていたのは俺たちのほうだったんじゃないのか! 僕が富山か群馬の男子高校生ならば、明日にでもHRの時間に教壇に立ってこう怒鳴りたい。これじゃあHRが、ホームルームじゃなくて、エッチし過ぎであーるだね、みたいな。ジョークの発想が決して高校生のそれじゃなく、30過ぎのそれだけど、そのくらいにちょっと錯乱した。斯様に県別の数字はおもしろい。県別のデータを、ミニコラムじゃなく、もっと表でしっかり出してほしい。と言うよりもここ数年分のアンケート回答を僕の所に寄越してほしい。そうすれば、あんな表やこんな表にして、この県のここの項目のこの数字の変移が興味深いとか、なんかいろいろとチョー語れるに違いないし、なんなら1冊の本にできる。集英社にこの思いが伝わればいい。
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2017年10月09日

10月の休日

 10月。レジャーにいい季節、と思って出掛けたら、どっこい予想外の日照りになかなか参った。朝晩は「涼しい」を超えて「寒い」ほどなのに、それでいて日中はジリジリ来るくらいの暑さ。10月ってそう言えばいつもそんな感じ。二面性のキャラ。冷徹な殺し屋なのに、難病の子のためにすごく寄付をする。判断に困る。
 日曜日は、笠岡ベイファームでいまコスモスが咲いていて、しかもその日はコスモスフェスティバルの開催日だということで、赴く。笠岡ベイファームでは1年間で、春先の菜の花、春のポピー、夏のひまわり、秋のコスモスと、4種類の花がサイクルで育てられていて、他の3つはこの3年間でいちどずつ見にいったので、今回のコスモスでとうとうコンプリート、生涯グランドスラムとなった。
 笠岡ベイファームに行く際は、すぐ近くの恐竜公園にも立ち寄るというのがこれまでの恒例だったが、恐竜公園はオブジェの恐竜以外はそれほど見どころのある公園ではないので、他にいい所はないかしらと検索したら、太陽の丘という場所を見つけ、今回はそこに行くことにした。ベイファームは、住まいから行くと笠岡の中心地の手前にあるのだが、太陽の丘はその少し向こうにあり、そのため笠岡の中心地というものに、今回はじめて立ち入った。なるほどなあ、という感じだった。地方の街というものにもいろいろな種類があり、岡山とか倉敷とか出雲とか、名前の通った所にはやっぱりそれなりの賑わいがあり、笠岡とかっていうのはそれらとは明らかに違う感じがある。島根で喩えるなら平田みたいな雰囲気。喩えがあまりにもマイナーで、とても限られた人にしかピンと来てもらえない気がする。けっこう的確な気がするのに、悔しい。
 太陽の丘という公園は、湾の沿岸に作られた細長い公園で、全長3キロくらいあるらしく、全容はまるで把握できなかったが、アスレチック遊具はほどほどながらも広い野原があり、なかなかよかった。ここのベンチで昼ごはんを食べたあとは、管理事務所で貸してもらったボールで遊んだり、走りまわったり、バトンを回したり、ほがらかに遊んだ。このときはまだ陽射しはそれほどでもなかった。
 そのあとベイファームに移動する。一日限りのフェスティバル開催日ということで、さすがに混んでいた。通常の駐車場はいっぱいで、少し離れた臨時駐車場に停める。そこから会場までの道程が、陽射しが強くてきつかった。なんだかたどり着いた頃にはくたくたになってしまった。売店でソフトクリームを購入し、それで少しだけ元気を取り戻し、なんとかコスモス畑を眺める。「なんとか」というのがまさにふさわしい感じで、コスモスのそれほど派手ではない上品な色合いに対して、浴びる陽射しが強すぎた。きれいなんだろうが、それどころじゃなかった。花には、それを鑑賞するのに適当な気候というのがあるのだと思った。ほうほうのていで車に逃げ帰った。
 帰宅後は、ファルマンは仕事が来たというので、子どもたちとDVDを観る。借りてきた「モアナと伝説の海」。愉しかった。歌はユーチューブで観て知っていたのだが、映画そのものを観たのは初めて。レジャーおつかれチューハイを飲みながらの鑑賞だったため、後半で寝落ちした部分もあったが、僕が映画鑑賞中に寝落ちするのはいつものことなので、それは別にマイナス評価ということではなく、愉しかった。たぶん途中で寝ておいてそんなことを言っても、制作者はぜんぜん嬉しくないだろうけど。
 夕飯は肉とトマトのスパゲッティと、卵入りのコンソメスープと、レバーの焼き鳥。血肉となるものを体が求めている感じがある。なにぶん、少しでも油断すればたちまち体調を崩しそうな気候ではないか。
 体育の日の今日は、衣替えをしたら子どもたちの服がわりと少なかった、ということで、その買い物に行く。はじめに行ったショッピングセンターでは収穫がなく、次に行った安い系のお店で何点かいいものに出会い、買った。子どもの服って、1年中通して、大人でいうところの夏服的と言うか、どうせそう長く着るものじゃなし、なんかもう目先の見栄えさえよければ質は二の次じゃい、みたいなところがあると思う。
 午後は家でこまごまと、家事や夕飯の支度などをして過す。夕飯はさんまの炊き込みご飯と、天ぷら。やけに秋らしい献立となった。炊き込みごはんはおいしかったが、天ぷらはなんかどうもよくない。天ぷらってやればやるほど下手になっていく気がする。不思議な料理だ。ほっくりとしたかぼちゃやさつまいもはおいしいが、それは下手な揚がり方でも失われなかった彼らのポテンシャルに過ぎず、本来の天ぷらというのはもっと有機的においしいものなのではないかな、と思う。もうあんまりやらないようにしよう。天ぷらが食べたくなったらてんやに行けばいいじゃないか。岡山にないけど。
 まあそんな感じに過した休日だった。やあ家族と過す。家族以外と過さない。なんかすごいレベルで、そうだ。他の用事がなさすぎじゃないのか。すぎたるは及ばざるがごとしじゃないのか。友達がいなさすぎるのが、及ばざるがごとしということは、つまりどういうことになるのか。逆にいすぎるということになるのではないか。それならばいい。それならばどんなに良すぎて、すぎたるは及ばざるがごとしで、良くなさすぎるだろう。すぎたるは及ばざるがごとしって、なんかとんでもない考え方だな。
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2017年10月07日

電気製品3席

 携帯電話があまりにも駆使されないために、充電がまるで減らず、何週間かにいちど残表示が2(フル充電からひとつ減った状態)になると、なんだかびっくりする。虚を突かれた感じになる。そうか、おまえの充電って、なくなるんだったな、となる。普段あまりにも充電方面と関わりなく取り扱っているために、急にそういう感じを出されると戸惑う。幼なじみで腐れ縁のクラスメイト、いつもいがみ合って憎たらしいあいつだけど、本家で行なわれる法事のときに、いつもの学校のときとはまるで違う、おとなしく居心地悪そうにしている様子を見て、ハッとする。そうだ、分家の遠戚であるあいつは、本家の跡取りである俺の、許嫁なんだったな……、みたいな、なんかそんな気持ち。学校では手だって口だって出してくるくせに、ここでは伏し目がちに、俺に敬語なんか使って話しかけんのかよ、ふざけんなよ……。
 たぶん僕の携帯電話は、ラジオとかであるような、手でペダルみたいのを回すと充電できる機能が付いていたら、たまに手慰みでそれを10回くらい回すことで、いつまでももつと思う。たぶんラジオよりもはるかにエネルギーを使う携帯電話においてそんな微弱な充電では役に立たないという観点から、その機能は一般的でないのだろうが、そんなことない。きっと頻繁に充電が切れたら、充電することが習慣的になってなんとも思わないのだろうが、3週間にいちどくらいの充電って、なんかやけに億劫である。許嫁のクラスメイトの背中にブラの紐が透けて見えているみたいな、それを俺以外の男子も見ているみたいな、そんな億劫さ。

 ある晩に突然パソコンが反応しなくなって、すわ故障すわ買い替え、と暗欝とした気持ちになったが、少ししてパソコンがマウスの操作に反応しないのはパソコンが悪いんじゃない、マウスが悪いんだ、ということが判明して、ことなきを得た。というわけでマウスが壊れ、新しいものを買うことにした。マウスはパソコンの備え付けのものだったので、ずいぶん使い込んだ。パソコンはいちど数万円をかけた大規模な修理をしたが、マウスはずっとがんばってくれていたのだ。感謝である。とても感謝をしながら、わりと数日前に新しいものに交換したばかりの電池を抜き取り、そしてファルマンに「これって燃えるごみ? 不燃ごみ?」と訊ねた。
 新しいマウスを選ぶにあたり、これまでマウス操作をしていると指が疲れることがあったので、そういうのの対策がなされたものがいいなあと思っていたのだが、どうも手首の痛みのことを言うものばかりで、指のそれに関しては世間の関心が低いらしかった。製品が丈夫です、ということを伝えるために、『クリック500万回動作確認済み』という文言があって、なるほど僕はこれまで使っていたマウスを、500万と1回くらいクリックしたかもしれないな、と思った。
 それなりに吟味して選んだマウスは、平べったい、指があまり湾曲しないもので、あとクリック音がとても小さい。小さいというより、しない。別にクリック音のうるささに悩まされていたという事実は一切ないのだが、静音を謳う商品と謳わない商品があれば、謳う商品のほうを選ぶのは当然だろう。いやー、しない。これだといきなり後ろから接近されても、音がしないものだから気付けず、避けられないままクリックされるおそれさえある。いっそ録音したクリック音をあえて出させる安全仕様にしたらどうか。

 注文したメトロノームが届く。イヤホン式。イヤホン式にしてよかった。やっぱりあんなバトン入れを作って背負っちゃうくらいだから、僕のバトンライフは結局のところ、どこまでもファッション感覚なところがある。ファッション感覚と言うか、中2感覚と言うか、とにかく見た目重視。それにあたり、耳に嵌めて使う、傍目からは得体の知れない機械というのは、とても都合がいい。これが設置式だったら、それはただの実直な練習用道具だ。そうじゃない。大事なのは、神(あるいは悪魔)の声を聴いているのかもしれない、そのミステリアスさ。なんかしらの声を聴きながら、バトンを回す、その行為。そしてそのバトン回しの、見事なまでに一定のリズムを刻むことと言ったらもう。
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2017年10月04日

what did you say now

 
 
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2017年10月02日

免許の更新

 免許の更新に行く。誕生日の前後1ヶ月なので、8月20日から行こうと思えば行けた。そう考えるとわりと引っ張ったほうだと思う。5年前の更新時はどんな風だったかしら、と過去の記事で確認したら、8月29日に行っていた。早い。なにしろ当時、無職だった。無職て、と思う。7月に出雲に移住して、毎日をほろほろと過していた、あの時代。あれが5年前か。そうか。ちなみに5年前の更新時は優良ドライバーだったので、警察署で更新していた。だから島根県の免許センターというものに、僕は縁がなかった。今回は一般ドライバーなので、わざわざ岡山県運転免許センターに出向かなければならなかった。2年くらい前に、制限速度40キロの道で53キロくらいを出していて捕まったせいだ。これは本当に運が悪かった。反省する気持ちはまるでない。世の中(ましてや岡山県である)、もっとひどい運転をしている人間はいくらでもいる。でも彼らは捕まらず、僕はあの日、捕まった。それはひとえに運が悪かったからだ。それ以来、捕まったその道では、決して50キロをオーバーせずに走行している。そうするとすごく後続車が車間距離を詰めてきて、時には反対車線にはみ出して追い抜いていったりする。そもそもが制限40キロじゃなく50キロであるべきだろう、というような見通しのいい道なのだ。追い抜かす人の気持ちも解らないでもない。自分でも、48キロくらいで走っていて、嘘だろ、と思うような道なのだ。でも絶対に50キロは超えない。そしてそれ以来50キロを超えずに走っていて、建物の陰で警察が取り締まりをしていた、ということは一切ない。僕の車を追い抜いていった車が道の先でまんまと捕まっていた、と溜飲が下がったことがいちどもない。2年経った今でも一向に収まらない怒りと悔しさで話が長くなった。そりゃあ収まらないよ。収まらないどころか、ここへ来て再燃するのである。だってあの日のあれさえなければ、警察署で30分くらいで終わったのだ。あんまりじゃないのか。あの日の罰金の1万いくらと、今回の更新の労力。あんまりじゃないのか。
 愚痴っぽくなった。でもその億劫な免許の更新を、少しでも億劫なだけの用事でなくするために、いろいろ考えて、なにしろ免許センターは、岡山駅のもうちょっとだいぶ北のほうという、普段あんまり行かないエリアにあるので、そっちにある行きたいと思っていた場所に立ち寄ることにした。そんなわけで、僕の免許の更新だったのだが、家族総出でのお出掛けとなった。
 免許の更新は午後の回と決めて、朝は気の済むまで寝坊し、10時くらいに悠々と家を出た。そしてまず向かったのは、初めて行く公園。太陽の丘公園。なんか、なにサウルスということもない、大きな草食っぽい恐竜がデデンとあって、体内から入って尻尾の先までが滑り台になっているという、そんな遊具があった。それとローラー滑り台が、だいぶん長い部類のそれだった。なかなか当たりの公園だった。
 そこでひとしきり遊んだ後、免許センターへ。どこの県でもそうだろうが、辺鄙な所にあった。ずいぶんな坂道を上った先に、広大な土地が広がっていて、そこに天界の事務局かな、みたいな不必要に立派な建物が建っていた。そこが免許センターなのだった。到着時間を計算し、受け付け開始の30分ほど前に到着したので、まず食堂に行って昼ごはんを取る。ここの食堂が、とても食堂らしい食堂で、食券とか、A定食とか、なんかそういう感じがものすごく久しぶりで、ちょっと興奮した。僕とポルガはラーメン炒飯セット、ピイガはうどん、ファルマンは安定のカレーライスを注文。場所柄お子様メニューなんてものがなかったので仕方なかったが、3歳児と6歳児と、そんなに大食漢じゃない大人ふたりで4品はさすがに多かった。味は悪くなかった。もちろんすごくおいしかったわけじゃない。ああいう食堂のラーメンらしいラーメンで、それがよかった。
 食べたあと、僕は更新の作業に入る。登録をして、証紙を買って、書類に記入をして、写真を撮って、そして講習を受ける。講習は1時間。ここでも「優良ドライバーの講習は30分」と差別を受ける。そんなことは優良ドライバーにだけ伝え、彼らが優越感に浸ればそれでいいではないか。なぜ我々にも伝えるのか。講習内容で印象に残ったのは、「運転に向かない性格」という項が7つあって、「怒りっぽい」とか「ひとつのことにとらわれがち」とか「気分屋だ」とか「集中すると周りが見えなくなる」とか、すべては覚えられなかったのだけど、それがすべて見事なまでにファルマンに当てはまったことだ。妻が免許を持っていないと職場で言うと、「不便でしょう」などと言われるのだけど、不便とかそういうレベルじゃない問題をあらかじめ回避できているので、ぜんぜん支障を感じない。ファルマンが免許を持っているほうが、絶対に人生中で損が多い。これは間違いない。ファルマンの実家の面々の事故率などを鑑みるに、本当にそう思う。ちなみ僕が手続きやら講習やらを受けている1時間半ほどの間、ファルマンたちはどうしていたかと言うと、建物の前の野原で、それなりに遊んでいたらしい。もう少し子どもが時間を潰すための設備があるのではないかと思っていたのだが、行ってみたらぜんぜんなくて、これはファルマンきついなあと思ったのだが、子どもというのは大したもので、ちょっとした段差でジャンプする、みたいなことで何十分も愉しく遊んでいたらしい。いいなあ。僕もちょっとした段差でジャンプするのを何十分も愉しくできればいいのに。
 講習後、無事に新しい免許証を受け取る。写真は安定の気持ち悪さ。キャメラマンが悪い。俺の髪型とか目つきとかはなんにも悪くない。でもこれでやっと、身分証明書として免許証を出したときの、「あ、現住所は裏です……」の煩雑さがなくなる。嬉しい。
 免許センターをあとにして、それからエブリイのショッピングセンターというものに行く。免許センターのわりとすぐ近くにあった。今年に入ってからできたお店で、新聞などで事業計画が発表されたときから、ぜひ行ってみたいと思っていたのだった。業務スーパーのエブリイを中心にして、その上階に紀伊国屋書店とかセリアとか手芸屋とかが入っているという、近所にあったらどんなにいいだろうかと思うような場所だった。行けてよかった。近隣の人がうらやましいと思った。
 そうして帰ったらもう17時を過ぎていて、本当は夕飯として天ぷらをするつもりだったのだけど、さすがにそこからにんじんとか玉ねぎとか切ってかき揚げにしたりする気力が湧かず、チルドの餃子で済ませた。ビールがおいしかった。1日仕事になったが、億劫な免許更新作業を、うまくこなせたと思う。よかった。
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2017年09月28日

私のこんな暮しいつまで続くの

 肩がまあまあ治る。痛めたときは加齢を感じて哀しくなったけれど、回復のそれなりの早さに、ぎりぎりのところで「そうは言ってもまだ若い」という自分評が保たれた。よかった。ちなみにファルマンもまた、あの悪夢のようなラジオ体操のせいで、僕とまったく同じ部分を痛め、しかもそれは翌日あたりから、じわ……、とやって来たのだそうで、それはちょっとリアルなやつだと思う。すぐ痛くなってすぐ治った奴が、じんわり痛くなって痛みが長引く奴を小馬鹿にする。なんだろう、ここは。フレッシュさに餓えた者どもしかいない、フレッシュ羅生門だろうか。僕はたまにこうして、「欠乏しているなにか+羅生門」という表現をするのだけど、用法として成立しているのかどうか、冷静に考えると怪しい。勢いで言っている。

 秋になり、にわかにビール熱が下がった。わりと例年こうなる。夏のビールがよほどおいしかったために、秋のビールが褪せて感じられてしまうのだろうか。ビールを飲まなければ休肝になっていいじゃない、という話だが、ところがどっこい、日本酒は飲んでいる。ただし「アメトーーク」でサンドイッチマンの伊達とアンジャッシュの渡部がやっている掛け合いのように、日本酒はアルコールとか肝臓とか、そういうんじゃない気がするので、やっぱりこれで休肝ということでいいのではないかと思う。だって日本酒は米だし。炭酸ないし。だから肝臓に負担は掛からないし、カロリーもゼロだと思う。
 本当はどっちもビールより、よほどすごかったりもするけど。

 友達クーポンについて考えを深めている。
 先日、友達クーポンには偽造のものがある、と思った。本当は友達クーポンが発生する間柄じゃないのに、一方による勢い、たとえば声の大きさだったり、異様な馴れ馴れしさだったり、誘い笑いだったり、あるいは抗えない関係性だったり、そういう手法によって勝手に発行されてしまう、偽造友達クーポン。
 偽造友達クーポンのまずいところは、偽造なのに、往々にして実際に使用できてしまう、という点だ。本当は不正なのに、本当は友達関係じゃないのに、一方の強権によって有りにされてしまう。
 とんでもないことだと思う。そんな不正がまかり通っていいのだろうか。いいのである。実は、世の中に流通している友達クーポンのうち、偽造でないもののほうが数が少ないからだ。だからもはや偽造なんて言い回しが大袈裟すぎるのだ。天然と養殖、そんな感じでいかがでしょう。そして俺、舌が肥えてるものだから、養殖物はすぐに判っちゃって、吐き気を催しちゃうんだよね……。
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2017年09月26日

澤村スイッチ

 朝テレビを点けたらラジオ体操をやっていて、それが朝の重たい頭と体に、とても素晴らしいもののように思えたので、もう第二の途中だったが、テレビに合わせて体操した。後ろでお弁当を作っていたファルマンも一緒になって始め、「いたたた、背中がいたい」などと悲鳴をあげた。そんな情けない妻を尻目に、僕は意気揚々と体を動かした。一気に目が覚めた感じがして、これからは毎朝やろう、と決意した。
 それで朝の準備を済ませ、出勤し、会社に到着したあたりから、右肩が異様に痛み出す。僕がピッチャーならば絶対に登板回避している痛み。そう言えば朝のラジオで巨人の澤村の話をしていた。球団トレーナーの鍼治療によって筋肉がおかしくなったという例の話題。まるで物語のような示唆性。痛みはそのあとも一向に収まることなく、動かすたびに痛み、キーボードを叩いている今も痛い。完全に体操でやってしまったようだ。どうやら僕には、ラジオ体操をする前に、ラジオ体操をするための準備体操が必要だったらしい。それともいきなり第二の途中から始めたのがよくなかったのだろうか。
 先ほどドラッグストアに行って、アンメルツヨコヨコを買ってきて、塗った。初体験。要するに液体の湿布なのだな、ということを知った。なんかおじさん臭いな。アンメルツヨコヨコそのものは無香料だが、いいや無香料では決してない。おじさん臭いよ。34歳になって初めて塗ったもの。

 ニンテンドースイッチというゲーム機が、なんだかゾワゾワする。思えば製品を知った瞬間から若干のゾワゾワ感はあったのだが、このほど始まったCMを見て、その正体が判り、とてもゾワゾワした。
 このゲーム機の最大の特徴は、ひとりで遊ぶ携帯ゲーム機として使える一方、ディスプレイの両端のコントローラーが取り外しでき、それをワンコンとツーコンとして用いて、多人数でも遊べる、という点である。
 大人数で一緒に遊べるゲーム機、というだけだったら、いまどきはスマホの通信ゲームでいくらでもできるが、それは僕にそれほどのゾワゾワ感はもたらさない。勝手にやれば? バーカバーカ、と切り捨てられる。ならばスイッチのなにがまずいのかと言えば、スイッチは、ひとつの画面をみんなで眺めるのである。そこがまずい。それぞれのスマホの画面を眺める通信ゲームと違って、そこが大いにまずい。
 だってそんなの、昔の、友達んちのファミコンのやつじゃん。あの、死ぬほど愉しかった時代のやつじゃん。それが携帯ゲームでなされてしまう。CMでは、男ふたりがカフェみたいな店でマリオカートをやっているところを、女が覗き込んで、それに気づいた男のひとりが「やります?」と言ってコントローラーを渡し、一緒に愉しむ、ということをしていた(後述するが、任天堂のホームページで改めて見たら筋立ては少し違っていたが、テレビでいちど見かけただけのときは僕はそうストーリーを解釈した)。その感じがショックだった。最近あまり見かけない気もするが、ちょっと前のネット界では、誰かが得意げに開陳したり語ったりした事柄に対して、「それで傷つく人もいるんです!」という批判をするのが流行っていた。流行っていたと言うとまるでジョークの一種のようで、そして実際に遠目から見るとジョーク以外の何物でもなかったのだが、批判を唱えている当人はたぶん大真面目に憤慨していたのだろうと思う。思わずそのフレーズを思い出した。それで傷つく人もいるんです! ニンテンドースイッチを使ってさくさく友達を増やす、それも友達んちでファミコンをやるという、人生中の友達ヒストリーの中でも黄金時代と言ってもいいその感じを軽く実現してしまう表現に、傷つく人もいるんです! そうです私です! わたすが傷つく人です!
 ちなみにCMは実際には、女はふたり組の男の、少なくともひとりとは知り合いのようで、入店したときに「おう」と挨拶をしていた。しかしその「おう」と親しげに声をかけたほうの男が、上記の「やります?」と、まるで公共の場でニンテンドースイッチをしていたら興味深げに覗き込んできたマブい女がいたのでコントローラーを餌に釣ってみた、みたいな声のかけ方をした男と同一人物なので、いよいよ関係性が判らない。知り合いなのか、知り合いじゃないのか(大事なところだ!)。しかも実際にコントローラーを女に渡すのは、「おう」と「やります?」を発言していないほうの男なのだ。変なの。
 まあCMの意味のわからなさは別にいい。言いたいのはニンテンドースイッチの、この心が綿毛でできている34歳への、挑発、刺激である。なんかそんな、いつでもどこでも「友達んち」が実現できてしまうって、まるで見たい夢が自由に見られるみたいな……いいや違うな、好きな女と自由にヤレるみたいな……いいや違うな、人魚姫の像の首が折られたような……ちょっと近付いたかな、なんかそんな、悔しさ、もったいなさ、やるせなさ、そんなものがある。そんなのって、よくないと思うよ、具体的にどこが悪いのかって言われると答えらんないけど、でも絶対によくないと思うんだ、実際に僕はなんかしら傷ついたんだ、と言いたくなる。そのゾワゾワ感だ。
 自らがニンテンドースイッチを保持して、友達んち空間を実現させる、という発想はない。どうせきっと僕の買うニンテンドースイッチは故障している。コントローラーが外れないと思う。そしてよく見るとゲームボーイって書いてあると思う。
posted by papiro at 22:21| Comment(0) | 文章 | 更新情報をチェックする