2018年01月20日

いつかこの時期を思い出してきっと泣いてしまう

 まさかの更新「USP」。「USP」をこれからどう扱っていこうかなー、ということを前の記事で憂えたけれど、たまにこうしてOBみたいな感じで、ふらっと部室に現れて、おーい、現役ー、ちゃんとやってのかよー、もっと気合入れろよなー、パピセンまじで年とって丸くなったよなー、俺らんときお前らみたいな態度だったらマジでブッ飛ばされてたかんなー、的な、現役生がうんざりするようなことを言いたいように言って、気が済んだら帰ればいいのだと思った。いい立場。でも7年間もがんばったんだから、そのくらいしたっていいじゃあないの。
 ところで「更新」という表現を冒頭で使ったけれど、「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」が示すように、今回の分裂ブログ群からは、記事をアップすることを「投稿」と言っている。最初に作成したときのタイトルは「プロペ★パピロウのブログ更新報告ツイートブログ」で、その証拠としてアドレスは「koushinhoukoku」なのだけど、実際にBloggerで記事を作成してみたら、記事をアップするボタンが「投稿」となっていて、そうか、言われてみたら投稿だよな、と思ったので修正したのだった。
 思うに「更新」というのは、ホームページ時代の思考を引きずっている表現なのだと思う。つまり古かったのだ。「更新」と「投稿」がニュアンス的にどう違うかと言えば、ホームページは全体が制作者の手中にあり、制作者自身の身体の大きさを決して超えないものだったため、その領分の中でページが細分化し、描き込まれ、油絵のように分厚くなっていく。これが「更新」。それに対してブログの「投稿」は、ひとりの人間の身体よりもはるかに大きい、実体など掴みようがないスケールの、ワールドワイドウェブというものに、その都度なんかしらの書きつけを貼っていき、その結果として無数に貼られたそれが遠目から見ればモザイク画になるような、そういう行為だと思う。
 ただしこれは新しいブログに限る話で、長年続いたブログはある種のホームページのようになっていくため、この喩えからは逸脱する。3年くらいだろうか。いや期間じゃなくて記事数だろうか。とにかくブログに厚みが増してくると、ある瞬間からブログはホームページの様相を呈しはじめるのだ。「KUCHIBASHI DIARY」も「USP」もその境地に到達した。しかしその論で言うならこれの最たる例は「うわのそら」だ。あれはもう完全にホームページ。実績を積んで個人事務所を設立した芸能人みたいな感じ。そしてそうなってくると、やっぱり「更新」でいいんだと思う。
 「更新」は昔の考え方を引きずってると言ったが、訂正する。僕が今回、分裂ブログ群の記事をアップすることを無自覚に「更新」と言ってたら、それは本当にロートル発想だけど、「投稿」よりも「更新」がしっくり来る日が、ブログにはいつかやってくる。それはひとつの勲章だろうと思う。
 なんだか本当にOBが繰り広げる、戯れ言昔話のようになった。付き合わされるほうはたまったもんじゃない。現役世代のこともちゃんと褒めなくてはいけない。
 開始直後ということもあり、「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」に、日々報告ツイートがなされて愉しい。特に、投稿報告される記事が、ブログそのものの開設報告でもあるという、本当にこの時期だけのきらめき、華やぎがたまらない。前回の記事から、新たにみっつのブログがお目見えした。
 「BUNS SEIN!」は猥談のブログである。前身として「marimoccotopia」というブログがかつてあった。街全体の風紀を乱すよりも、ガス抜きとして風俗の特区を作ってしまおうという、そういう発想のブログである。タイトルの読み方は「バンズザイン」で、意味はこちらこちら、そして画像資料としてこちらを参考にしていただきたい。
 「PAPIROTOIRO2」はネタ的な記事をアップするためのブログ。素人が用いる「ネタ」という言葉がこれまで大嫌いだったのだが(ネタとして成立していないのに本人がネタと言うのは、誘い笑いのような卑怯さおよび情けなさがあると考えていた)、若干の抵抗を覚えつつ、他に適当な言い回しも浮かばないので仕方なく使った。パピセンも年をとって丸くなった、とも言えるし、僕が嫌いな感じで「ネタ」という言葉を唱える知り合いが身近にいなくなって久しいので、山之辺的な達観に至ったと言うか、もはや在りし日の自分が何に憤っていたのかもよく分からなくなった、とも言える。「2」とあるのは、無印の「PAPIROTOIRO」がかつてあったからで、コンセプトは基本的に一緒。ただしこのときは「USP」という確固たる中心的存在があったため、そちらからどうしても持ってこられない企画もあり、そういう点で中途半端だったと思う。今後は「cozy ripple流行語大賞」であったり、「パピロウヌーボ」であったり「パピ労の日報告」であったり、そういう年間行事もこちらで執り行う予定である。
 「僕等は瞳を輝かせ、沢山の話をした」はSTAP友達とのエピソードブログ。つまりかつて「STAP FRIENDS」でやっていたことを、改めてここで行なう。「STAP FRIENDS」(JUGEM)の、吹き出しがいっぱいあるデザインのスキンが、ブログのコンセプトに合っていてとても気に入っていたのだけど、一斉リニューアルなので仕方ない。タイトルは、唱歌「ともだちのうた」から。
 これら、新しいタイトルの、新しいブログが日々こうして登場する様が、作者ながら本当に愉しい。報告ツイートブログでは淡々と記しているけれど、気持ち的には「参戦!」みたいなテンションで、胸を熱くしている。胸を熱くして紡がれるブログは幸福なブログだと、OBとして、俺ことUSPは思う。現役がんばれ。
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2018年01月16日

ブログ拡散のお知らせ

 というわけで、本当にブログが分裂した。
 だってしょうがないじゃないか。ブログは収束と拡散を繰り返すのだからして。
 何日か前の出勤前に、水槽の中のブログにその兆候は出ていて、ああもしかしたら拡散が起るかもしれないなと、僕もそれなりに飼育年数を積んできたものだから予測はついて、それで夕方になって家に帰ったら、果たして拡散していたのだった。水槽の中には、見たこともないブログたちがわらわらと蠢いていた。
 生まれたばかりのブログは殊のほか脆い。中には、誕生したまま、いちども記事が書かれないまま立ち枯れる、かわいそうなブログもある。だからはじめのうちはしっかりと思いをかけて、ある程度のところまで育ててやらなくちゃならない。そのためここ数日はそれらの世話にかまけていた。
 今回の分裂は、久しぶりに大規模なものとなった。なにしろ2011年から続いていたこの「USP」までもが、今回の分裂によってその役目を終えようとしている。「KUCHIBASHI DIARY」から「USP」への移行は、東日本大震災という分かりやすい契機によってなされ、思えばそれは分裂ではなく禅譲であった。「KUCHIBASHI DIARY」が1550記事、「USP」がこの記事で1654記事目。「USP」はよくやってのけたと思う。はじめはこの子も頼りなく、果たしてあの「KUCHIBASHI DIARY」のあとを継げるのかと危ぶまれたが、気づけば幕内優勝40回を誇り、歴史に残る平成の大横綱である。引退後の一代年寄はほぼ確実だろう。おつかれさま。今はその積年の疲労と怪我をゆっくりと癒してほしい。
 そして「USP」が隠居し、「KUCHIBASHI DIARY」「USP」と続いたその系譜には、次にどんなブログが刻まれるのかと言えば、そういうものはないのである。時流というのだろうか。あるいは気分というのだろうか。これからは、ひとつのそういう強大で根幹となるブログを中心に据えて、その周辺にそれ以外のブログが浮遊するという図式ではなく、ひとつひとつのブログがその都度その場において輝くという、「中央から地方へ」みたいな、そういう考え方で行くことにしたのだった。
 つまりブログは細分化し、多層化する。そうして織り成す布が、いつか誰かをあたためうるパピロウなのだ。ちょっとなに言ってるのか解らないです。
 でもそんなに拡散したブログ群で、しかも中心となるものがなかったら、読者はどうやってそれぞれのブログの展開を知ればいいのか。裁縫好きなら裁縫のブログを、俳句好きなら俳句のブログを読めばいいが、それじゃあ「パピロウ」のことそのものが好きな私は、どうすればパピロウが綴ったあらゆるブログを読むことができるというの。私はパピロウの綴ったすべての文言が読みたいの――。そういう人のために、この体制を築くにあたって、こういうブログは必須だろうと思って作った。
プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ
 どういうものかと言えば、ブログタイトルがその説明のすべてで、拡散したほうぼうのブログに記事を投稿するたびに、ここでそのことを知らせる。そういうブログである。「それはツイッターでやればいいんじゃない」とファルマンに言われたので、タイトルに「ツイート」を入れた。記事へのリンクとなっている投稿報告以外、雑談の類いは一切しない。淡々とツイートするのみである。そういうブログである。その与えられた役割から、このブログは中心になってしまい得るので、それを回避するために、これ自体は読み物として読みようがなく、愛着が湧かないようにブログタイトルもあえて飾り気のないものにした。
 リンク先に飛んでもらえば分かるが、すでに3つの新ブログが投稿報告されている。
 ひとつ目の「おこめとおふろ」は、いわゆる日記ブログである。休日にあれをした、これを食べた、そういうことを書く。これまでの「日記」では、行動を伴わない、「思ったこと」なんかも混在していたが、この日記ブログでは具体的な出来事を中心に書いていこうと思っている。
 ふたつ目の「andp」は、ポエムのブログである。かつて学年題をテーマとした「gndp」というブログがあった。これはタイトルにその名残を感じさせつつも、学(g)年(n)題(d)ポエム(p)ではなく、and poemということで、学年題、季題、俳句、短歌、詩、歌詞、さらには破皮朗まで、あらゆるポエム的なものを投稿していこうと思っている。
 みっつ目の「BYAPEN」は、手書きの文章のブログである。かつて「俺ばかりが正論を言っている」という、手書きの画像のブログがあり、でもこれはカードに書いた文章だったり、イラストだったり、とにかく紙に手でかいたもの、という大きな括りだった。同時にやっていた「KUCHIBASHI DIARY」が、画像を一切使用しないというこだわりがあったため、その受け皿としての役割もあったのだと思う。今回のこちらは、その「俺ばかり」から、イラストなどの要素を抜いたものとなる。つまり純粋にカードに書く文章のみ。もしかしたら必要に迫られてそのカード文章にイラストが添えられることはあるかもしれないが、基本的に文章。タイトルは「written by a pen」から来ており、読み方は「びゃぺん」でいいと思う。
 今日現在までで記事が投稿されたブログはこの3点で、そのため公開しているものもそれだけなのだが、ブログそのものの作製はしている。ちなみに今回の拡散ブログは、すべてgoogleのBloggerというのを使っていて、これのなにがいいって、ひとつのアカウントで作れるブログの数が100個まで、という点だ。これまで長年お世話になったseesaaは、それが5個までなのである。たぶんウェブ上の美化のためにはブログ100個までというサービスはあまりよろしくないのだろうが、それが今回の僕がやろうとしていることに条件として合致したのだからしょうがない。
 現時点で作製されたブログとしては、「猥談のブログ」「ハンドメイド作品のブログ」「漫画やイラストのブログ」「架空の友達に関する話のブログ」「ネタ的な記事のブログ」なんかがある。これらはひとつ目の記事が書かれた時点で公開し、「投稿報告ツイートブログ」で紹介することとする。
 そんなわけで、唐突に体制が変わった。案外そんなもんだと思う。「KUCHIBASHI DIARY」は休筆の12年後に復活するということになっているが、「USP」はどうしようかな。これで完全におしまいというのも寂しいので、なんかしらの方法で花道を飾りたい。永らくお世話になりました。
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2018年01月10日

性質とその予測


 
180110.jpg

 
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2018年01月09日

趣味は手芸です

 去年の僕の誕生日に、娘たちからプレゼントされたポスターや冊子(あの「はつなかまのうた」が収録されているもの)。そのポスターのほうに登場した「ひっと王」というキャラクターが、見た瞬間から気に入って、当日の日記でも「作ろうかな」と書いていたのだが、このたび本当に作った。
 それがこちら。
 
ヒット王.jpg

 なかなかの再現度だと思う。平面の図を見て、こう作ったら愉しいだろうなと考えたように作れた。右の通常サイズのヒットくんと較べていただければ判るが、さすが王なだけあって長い。普通ならミシンを持ち出すべき長さなのだが、フェルトのヒットくん人形に関しては手縫いにこだわりがないこともないので、チッチクチッチク手縫いでやった。腕はテディベア方式で、それなりに肩で動く(あまりグルグル回したら内部を伝わせている糸が破断するだろうと思う)。これだと肩にどうしても糸が出てしまい不格好なのだが、それを今回の出色のアイディアとして、スナップボタンで隠し、しかもそのスナップボタンは、昔のイメージの王族の肩によくある、パットなのかなんなのかよく分からないが、なんかそういう飾りの雰囲気を醸し出すと同時に、マントの留め具にもなっているという、そういう仕組みになっている。この肩の飾りとマントのニュアンスをどうしたら判ってもらえるかと、そぞろに画像検索などしていたところ、ガンダムのランバ・ラルの軍服がイメージに近かった。ああいう感じだ。スナップボタンで留めるので、もちろん外すこともできる。ちなみにマントは別売り。基本セットには付属していないのであしからず。かつていろいろな色のヒットくんを作るために、力ボタンという名目で売っている、しかしたぶんこういう飾りとしての使い方のほうが本分なのだろうと思われる、とても小さくてカラフルなボタンというものを、僕はたくさん持っていて、今回はそれが思う存分に使えて嬉しかった。こういう作業好きやわー。

 あとこれは年末年始に、特に実家において、やることがなくて漫然とテレビを眺めるだけの時間というのが多量に発生するだろうと予測し、その対策としてひとつ刺繍をやろうではないかと思い立ち、刺すことにした、火の鳥。
 
刺繍エトの鳥.jpg

 火の鳥と言ったが、絵は手塚のトレースでもなんでもないので、エトの鳥と言っていいかもしれない。はじめにアウトラインステッチで、文字通りアウトライン、輪郭線を刺して、そのモノトーンの感じも悪くなかったので、そこでやめようかなとも思ったのだけど、まだまだ時間があったので、頭部のベタの部分だけ入れようかな、トサカの赤も入れたら鮮やかでいいだろうな、嘴の黄色もあるといいな、尻尾のピンクなんかもかわいいだろうな、とやっているうちにほとんどフルカラーになった。
 ちなみになにに刺したのかと言えば、職場で着けているエプロンのポケットである。
 
ポケット図.jpg

 思えばこういう実用品に刺繍を入れたのは初めてで、なるほど刺繍を入れると愛着が湧くものだな、と思った。労働中、右太もものあたりで常に火の鳥がきらめいているかと思うと、だいぶ救われる感がある。そんなものに救われなければやってられないような悲惨な職場ではないのだが、それでも気分が上がる。
 いまさらながら、もしかしたらハマるかもしれない。刺繍。さしあたってエプロンにはまだポケットがあるので、そこへもなんか刺しちゃおうかなー、刺すとしたらヒョウタンツギかなー、なんてことを考えている。訊ねられたときの説明が面倒なので、ヒットくんやクチバシを刺す気にはならない。その奥床しさがいけないのかもしれない。
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2018年01月08日

仲間内10大ニュース2017

 インフルエンザのせいで年内に間に合わなかったけど、これをやらないことには友達から叱られるので、いまさらながらやることにする。
 僕の周辺の仲間内10大ニュース。2017年バージョン。
 ……いや、でも待てよ?

10位 川西はタイムトラベラーだった
 前々から違和感はあった。なんか川西っていろいろお見通しなところあるよな、と思っていた。トランプのこととか早い段階で言ってたし。でもただの勘のいい奴ということで済ませていた。普通はそう考える。しかしある日アパートを訪ね、そこで見たこともない乗り物に乗り込もうとする、見たこともない服を着た川西を見てしまった。本当に見たこともないような服だった。チェックのパンツにチェックのシャツを合わせていた。未来ではそれ、ありってことになったんだ、と思った。

 果たして僕に仲間なんていただろうか。友達なんていただろうか。

9位 長田が砂糖醤油水にハマる
 「結局のところ砂糖と醤油が組み合わさればなんでも旨い」が口癖の長田が、とうとう飲み水にまでその理論を持ち出した。これまでもブドウとかチョコレートとか、それはちょっとどうなんだろうと思うものにまで砂糖醤油を掛けていた長田だったが、いよいよ水の境地にまで達してしまったのである。作り方は簡単。グラスの底に砂糖と醤油を少し入れ、そこへ水を注ぐだけ。「マジうめえ」と長田は言う。そりゃあただの水よりもおいしいだろうと思う。でも水ってそういうことじゃないだろ。

 いる。いるよ。いるじゃあないか。なに言ってんだ。いすぎて困るくらいいるよ。

8位 曽田が赤じゃない服を着てきた
 「いつだって赤い服、曽田です」がキャッチコピーだった曽田が、ある日の飲み会でカラフルなストライプ模様のトレーナーを着てきた。線の中に赤もあったけど、青とか黄色とか白とかもあって、赤い服とは到底呼べない代物だった。今日は赤じゃないんだ、と訊ねたら、うん、ちょっとね、と言って曽田は頬を赤らめた。曽田の中のルールが判らないし、別に知りたくもない。そのあと二次会で行ったカラオケで、曽田は青い三角定規の「太陽がくれた季節」を唄った。そこはいつもの曽田だった。

 本当だろうか。その仲間たちは、実在する人物なのだろうか。

7位 西の詠んだ短歌が宮中の歌会始の儀で詠進歌に選ばれる
 西はふだん短歌なんてやるタイプではないのだが、たまたま目についた募集要項になんとなく触発されて応募したらしい。テーマは「野」で、西の詠んだ歌は、『春になればまた始まるよプロ野球すごい愉しみペナントレース』というもので、担当の人があの祝詞みたいな感じで、皇室の方々に向かって読み上げていた。とんでもない歌だな、なんで選ばれたねん、と最初は感じたが、時間を置いて噛みしめれば噛みしめるほど、味わいがあるような気もしてきた。気のせいかもしれない。

 すべて僕の心が作り出した虚像の友達なんじゃないか。本当はいないんじゃないか。

6位 城田が変な嘘をつきはじめる
 深夜、城田から電話が掛かってきて、「精液が無限に出るようになった」と言ってくる。そのまま電話を切ろうとしたところへ、「待ってくれ、切らないでくれ」と城田が続けた。「世の中に無限なんてない。俺もそう思っていた。これまでの世界の物理法則を無限は破壊してしまうはずだから存在し得ない。でもやっぱり俺の精液だけは無限だとしか思えないんだ。いくらでも出るんだ。食べたり飲んだりする以上に出る。もうこれは無限だ。無限が生まれてしまった。世界は崩壊する。俺の精液が世界を終わらせるんだ……」というところで電話を切った。

 でも物理的に存在する友達と、心の中にしかいない友達に、なんの区別があるのか。

5位 衛藤が襲いかかってきたイノシシを巴投げで撃退する
 ラムサール条約ズ(俺らのチーム名)のメンバーでキャンプに行ったとき、急に山から1頭のイノシシ(推定50キログラム)が現れ、なにを思ったかこちらに向かって突進してきた。我々245人はパニックになり、あちこちへ逃げ惑うが、73人が被害を受け、46人が軽傷、22人が重傷、5人が死んだ。そんな絶望的な状況の中、一点に立ちすくむ衛藤にイノシシが狙いをつける。襲いかかるイノシシ。「衛藤、逃げろ!」と僕は叫んだ。口の中は血の味でいっぱいだった。しかし衛藤は逃げようとする様子は一切なく、目の前にまで近付いたイノシシの前脚を掴むやいなや後ろに倒れ、そのまま後方の虚空へとイノシシを放り投げた。そこはちょうどキャンプファイヤーの櫓が組まれていた場所で、イノシシはそのまま焼かれ、グリルドポークになった。衛藤の妙技をみんなで褒めそやしながら、おいしくいただいた。死んだり重傷を負った仲間も、おいしいイノシシの肉で生き返ったり怪我が治ったりした。よかったです。

 ないんだ。だって僕の世界のすべては僕という人間の認識の上で存在するのだから。

4位 藤井が古民家を購入しセルフリノベーションする
 瀬戸内海のとある島に建つ築80年という古民家を藤井が土地ごと購入し(その額なんと50万円!)、リノベーションして住むことに。しかしそれまでずっと世田谷区内で生きてきた藤井にとって、島での暮しはカルチャーショックの連続だった。まず島の人口の半分は、人類ではないタコ的な生物であるということ。そして購入した古民家はタコ的な生物のほうの住居だったため、人類である藤井には使い勝手が悪いということ(特にトイレの形状には参ったという)。しかしそんな慣れない生活にストレスを溜めた藤井の心を救ったのもまた、タコ的な生物だった。隣近所に住むタコ的な生物たちが、あれやこれや藤井の世話を焼き、はじめはその吸盤や粘液に嫌悪感を抱いていた藤井も、タコ的な生物たちの親切さにほだされ、徐々に心を開いていった。中でも特に親交を深めたのは、向かいに住むというタコ的な生物一家のひとり娘で、人類の年齢で言うとちょうど藤井と同年代にあたるということもあり、話が合うらしい。藤井の話には頻繁に彼女が登場するようになり、僕はそろそろふたりの仲を疑い始めている。

 実在しない友達とは遊びに行けない。でも遊びに行った話をブログに書ける。

3位 寺井がルービックキューブを完成させる
 寺井と言えばルービックキューブ、ルービックキューブと言えば寺井。そう言われるくらい学生時代から常にルービックキューブを回し続けていた寺井。一部ではルービックキューブのことを寺井キューブと呼び、また一部では逆に寺井のことをルービックさんと呼んでいた。なぜ寺井がそんなにもルービックキューブを回し続けていたか。それはいつまでも完成しなかったからである。解くための技法があるんだよ、と進言しても聞く耳を持たず、愚直に回し続ける寺井。オレンジを揃えたくて、別の面のオレンジを持ってこようとすると、それまであったオレンジが別の面に行ってしまうという壁が、いつまでも越えられなかった。そんな寺井が。とうとう。これでやっと祐美ちゃんの墓前でプロポーズができるな。おめでとう。

 書いたから何だってんだ。それで友達と遊んだことになるのか。なるわけねえだろ。

2位 永田が通算100回目のスカイダイビング
 スカイダイビングを趣味として行なう人間というのを、僕のそう狭くもない交友範囲の中で、永田くらいしか知らないのだけど、その永田がこのたびスカイダイビング100回目という節目を迎えたそうで、ぜひ見に来てくれよというため、工藤、本庄、そしてもちろん三上も一緒に、現場に立ち会った。セスナで飛び立つ永田を見送り、落下地点だという野原で待機していたところ、やがて頭上の空に豆のようなものが現れる。セスナは雲の上を飛んでいるため、本当に人だけが空から突然に現れたかのようだった。豆はみるみるうちに大きくなり、ある瞬間にパラシュートが開いた。そのあたりになってようやく、永田が全裸であることが判った。なんで裸なのかと戸惑う我々に、スカイダイビングクラブのオーナーが、人生で100回目のスカイダイビングは全裸でやる決まりなのだと教えてくれる。しかしただの全裸なら別にいいのだが、やはり動物的な部分で生命の危機を感じるようで、その陰茎が隆々と勃起しているのには閉口した。温泉などで仲間の平常時のそれは目にするが、勃起した同性のものを見る機会はない。あんな容貌のものが三上の中に出入りするのだなあということを思い、なんとも生々しい気持ちになった。三上の眉間の皺が深かった。

 でも書かないよりは書いたほうが友達と遊んだ感は出る。それでちょっと自分が騙される部分がある。そういう効果がある。

1位 戸田と小沼が「火の鳥」にハマる
 2016年のあの出来事で執行猶予となった戸田と小沼だったが、その日々の中でふと手にした「火の鳥」に夫婦ふたりで熱狂したらしい。戸田のお気に入りは「生命編」、小沼のお気に入りは「望郷編」だという。セレクトが微妙に渋い。「未来編」や「鳳凰編」でなくそれらを選ぶか、という気がする。

 というわけで2017年の仲間内10大ニュースなのだった。窪田、根木、野島、木田、川端、永瀬、本多、リチャード、太田、金崎、ジョアンナ、岩元、柿沼、近藤、この毎年恒例の10大ニュースのことを気に掛けてくれた彼らとの約束が果たせてよかった(彼らはひとりも登場しなかったけど)。今回のラインナップの傾向として、やっぱり友達って本当にぜんぜんいない期間が続くと、友達がいたらどういう友達情報が自然と入ってくるものなのかまるで判らなくなってくるものだなあ、という感じになったと思う。空想が過ぎた。来年(もう今年だが)は、未だかつてないリアルな10大ニュースを発表したい。なぜなら友達が実際にできたから、10大ニュースも現実に則したものになったのだ、読み物として10大ニュースの記事のおもしろみは減ったが、でも僕には現実の友達ができたからなんの問題もないのだと胸を張りたいです。
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2018年01月05日

予定変更帰省

 帰省から帰還する。本来12月30日から1月2日という3泊4日で計画していたものが、1月1日からの3泊4日となり、でも怪我の功名と言うか、これまでなんとなく「年末年始の帰省」という固定観念でそういう日付で動いていたのだけど、31日から2日って、店や施設もだいたい休んでいて、行く場所がすごく制限されたのだけど、4日まであちらにいることによって、行動の選択肢が増えた。これからはこうしようかな、と思った。
 1日は、午前の便で移動する。今回はあんなことで予定が変更になったので、こういうときってとことん行動がままならないのではないか、大きな力に阻害されるのではないかとマイナス思考になったが、なんとか新幹線の部品が破断することもなく、無事に新横浜に到着し、実家にたどり着いた。実家では既に姉一家がやってきていて、祖母や叔父もいて、一族集合となる。おせち的なあてとビールでひと息つき(相変わらず乾杯は絶対にしないわが家)、子どもたちにお年玉をもらう。姪が、クリスマスにあのニンテンドウスイッチをもらったそうで(義兄が「サンタが金額にビビッていた」と言っていた)、いとこ4人で正月にスイッチでマリオカートをやるという、CMのような風景が展開された。僕も少しやったが、なんかえげつないおもしろさだった。瑕疵なくおもしろすぎて、逆に不健全なんじゃないかと思った。世の中って清濁のあるものなのに、正月にスイッチのマリオカートをやる図式には、濁りというものが一切なかった。そのあと祖母と叔父以外のメンバーで、近所の神社に初詣に出る。徒歩なのであまり期待もしていなかったが、それにしたってしょぼい神社だった。元日だというのに神社側の人もいなければ、おみくじもない。われわれはこれで初詣をしたのだろうか、とちょっと不安になるような初詣だった。帰ってふたたびスイッチの後、晩ごはんは定番の手巻きずし。おいしい。
 翌日は特に予定がなく、姉一家も義兄の実家に行くため現れないので、のんびりと過す。センター北のショッピングセンター内にブックオフが入ったらしいという情報を、昨日の市営地下鉄の車内広告で得ていたため、行ってみることにする。ノースポート。ブックオフは、服からスポーツ用品から、いろいろ売っているブックオフだった。恒例の20%オフの中、それなりの収穫を得た。それとメガネ屋のオンデーズも入っていて、そこでも新春セールをしており、その中にしっくり来るフレームがあったので、急遽作製することにする。欲しいと思っていた、丸い感じのフレーム。嬉しい。メガネを新しくするとか、新年っぽい。帰宅し、午後は近所の公園で凧揚げなんかする。お正月の、すさまじくベタな行動。でもやってみたらわりと愉しかった。子どもたちはもちろん初めてだし、僕も四半世紀以上ぶりだと思う。飛ぶもんなんだなあ、と感心した。夜になり、義兄の実家から戻ってきた姉一家が迎えに来て、ポルガは姉の住まいにお泊り。これもどうやら恒例行事になってきた。ピイガは性格によるものか、「わたしも!」みたいな素振りは一切ない。いいことだと思う。ずっとそうあってほしい。夕飯は寄せ鍋だった。深夜には雑炊をし、大人たちだけで酒を飲みながら食べる。おいしかった。
 実は翌日も特に予定がない。ポルガは、姉の宅で今日は何家庭か集ってのホームパーティー的なもの(!)が開催されるのだそうで、昼あたりから始まるそれに、そのまま参加するらしい。信じられない。なんでそんなに物怖じというものをしないのか。父、母、妹の物怖じズは、家からほぼ出ることなく、箱根駅伝の復路なんかを眺めつつ、ダラダラと過した。午前に叔父が帰るとのことで、僕が駅まで送ったりした。午後からは母を中心にケーキ作りをする。ピイガの4歳の誕生日が、移動日である翌日なので、もういっそ前日の今日に実家で祝ってもらおうよ、ということになったのだった。実家なのでスポンジから手作り。昔は出来合いのスポンジがいまほど一般的じゃなかったのだろうか、こうしてよくケーキを作った記憶がある。デコレーションまで終えて、夕方ごろになってようやくポルガを迎えに行く。ホムパはまだ続いていたようで、あまりスムーズに帰りたがらなかった。ショックなど受けなかった。みんな予想していた。晩ごはんの後、ケーキを囲んでピイガの誕生日祝い。まあこういう状況でできてよかったんじゃないかと思う。孫および曾孫の誕生日を「祝わせてやる」という孝行。ケーキもおいしかった。クリスマスケーキの雪辱が成った。
 翌日は最終日。今回は夕方の便で、それまでにイベントがある。上野動物園に行くのである。本来の日程ならば休園で叶わず、今回の東京イベントは「原宿の竹下通りをブラブラ」だったのだが、期せずしてこんなことができるようになった。なので結果的によかった。今日から仕事はじめだという姉夫婦が、子どもふたりを母に託したので(とことん便利に使っている)、母と姪と甥も一緒に行くことに。上野はあざみ野からだとわりと遠かった(練馬時代の印象で上野を捉えていた感があった)。いま上野動物園と言えばもちろん赤ちゃんパンダのシャンシャンなのだが、それは観覧の抽選に応募していないので観られない。しかし父親のリーリーは誰でも観ることができて、しかもそれが真正面を向いて笹を喰っていたので、けっこう「おおお」感があった。それからゾウを観て、ニホンザルを観て、西園に移動する。西園はなんか工事をしていて、ふれあい動物園みたいなコーナーがなくなっていた。せっかく子連れなのに残念。昼時になったので売店で食べものを買ってベンチで食べる。風がなかったのでそれなりに凍えずに食べることができた。それからモノレールで東園に戻ったところで、待ち合わせをしていた「いつもの一家」と合流する。練馬時代に近所に住んでいた、あのいつもの一家。今日は彼らとの邂逅という目的もあったのである。母と姪と甥は、もとから昼過ぎには帰る予定で、一家と少しだけ顔を合わせた後、去っていった。ちなみに一家の長女(小4)と、姪(小3)とポルガ(小1)は、震災の直後にもいちどだけ、当時の僕の練馬の住まいで一堂に会している。そのことを思うとこの再会は微妙に感慨深いのだった。それにしても長女は大きくなっていた。思えばこの子とは、3年前のカップヌードルミュージアム以来、ろくに会っていなかったと思う。小1の女の子が小4になっているのだ。それは驚く。って言うか小4。生まれたときから知っている、同級生の子どもが小4。中学受験の話とかしてる。信じられない。夕方になり、園を出て上野駅に戻る。そしてコインロッカーに預けていた荷物を回収し、山手線のホームへ。彼らは練馬に帰るために池袋方面、われわれは新幹線に乗るために東京品川方面の電車に乗る。なかなか慌ただしい再会だった。帰りの新幹線は品川から乗る。上野に行くので新横浜じゃなくて品川、というところまでは気が回ったが、上野からだと品川よりも東京のほうがもっと便利だった。そこが地方在住者の限界だった。移動日にレジャーを組み込んだので、20時を過ぎた帰宅時には、もうヘトヘトになっていた。買ってきた弁当を食べて寝た。
 そんな3泊4日の帰省だった。まあとにかく、実行できてよかった。
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2017年12月31日

17年締め

 ブンブンブンブンブンブンじゃねえよと。乃木坂46じゃねえよと。レコード大賞受賞ということで、おめでたいが、「インフルエンサー」というタイトルは、発売された初夏くらいのときは別によかったけど、わが家がそうであったように、年末はインフルエンザの流行期なので、ちょっと不謹慎感が発生する気がする。気のせいだろうか。直近でインフルエンザを味わった人間だけが感じ取れる、粒子レベルでそれが漂っているように思う。いっそ言おうか。言ってしまおうか。「傷つく人もいるんです!」って。
 12月31日で、今年最後の記事であると同時に、明日から早速に帰省が始まるので、帰省前の最後の記事でもある。前の記事で触れた「今年の10大ニュース」は年末特有のバタバタで取り組めず(夜はテレビ観ながらおやつを食べたりお酒を飲んだりしたくなってしまうんだもの)、来年に持ち越すことにした。なあに、「今年の」の、「今」という漢字を、ぐにーっと、ぐにーっと、ぐにーっと動かせば、ほら見ての通り、「2017年」に早変わり。「去年」「昨年」としないところに意味がある。「2017年」なら、2018年にだろうが2019年にだろうが、いつ書いたっていいということになる。窪田、根木、野島、木田、川端、永瀬、本多、リチャード、太田、金崎、ジョアンナ、岩元、柿沼、近藤……いや、書き切れるはずなんかないんだけど、彼らをはじめとする僕の仲間たちは、気長に待ってて欲しい。仲間内10大ニュースが年内に書けなかったとしても、これだけはたしかだよ。お前ら最高の仲間のおかげで、2017年も俺は最高にたのしかもういい。
 まあそのような感じで。2017年もそれなりにきらめいて生き抜いたのではないかと思います。僕の生き抜いたあとには、パピロウのきらめきの正体はこれか、と研究者が驚く、鱗粉のようなものが散らばっているのだと思います。来年もなるべくそれを多く、全身の穴という穴からひり出して暮したいと思います。ありがとうございました。
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2017年12月29日

ブンブンブンブンブンブン

 メリクリじゃねえよと。BOAじゃねえよと。
 「明朝は出勤があるため子どものリアクションは見られない」と記事を締めたのが、まるで伏線だったかのように、がっつりと見た。のんびりと見た。ピイガがうさぎのリモコンのおもちゃを歩かせて笑う、そんな平和なさまを、じっくりと眺めた。平日の朝になぜそんな悠長に過せたかと言えば、ファルマンが身体の不調を訴え、9時になったら開く病院に行くことにしたからで、その間の子守りをする必要があったのである。仕方なく労働は午前休にしてもらった。そして時間になって、ファルマンが近所の病院に出掛け、しばらくしてメールが届く。
 「検査の結果、インフルエンザでした」
 もうそこから今日までは怒涛の日々だった。次の日に僕が、その次の日に子どもたちが発症して、もちろん各人すぐに病院に駆け込んで特効薬を処方してもらったのだが、それでもパッと治るわけでは当然なく、年も押し迫った今日になってようやく、ほぼ平常運転ができるまでに回復した。そういう次第だった。
 やー、つらかった。たまに話で聞く、一家全員インフルエンザでダウンという状態を、プロペ家もこのたび初めて経験したのだった。想像以上につらいものだった。初日はファルマンを隔離し、僕が夕飯を与え、風呂に入れ、寝かしつけをしたのだが、次の日に僕が発症してしまったら、もう隔離する部屋も、隔離した親の代わりに子どもを見てくれる人間もおらず、発症した直後の僕よりは一日の長の分だけ症状が安定しているファルマンが見るほかなく(無理したことだろう)、そしてまあそんな状態では結局のところ家族が感染しないパターンなどありえず、ああ伝染病って、どこかで始まってしまったら本当にどうしようもないんだな、と痛感した。
 ちなみにあの日、高いけどしょうがないし、みたいな気持ちで買った、苺を豪華に乗せた2段ケーキは、25日の昼間、まだ元気だった僕と子どもたちでもういちど食べて以降は、もう誰も手をつけなくなり、ファルマンに至ってはイブの夜から、いま思えば兆候が出ていたということだろう、調子が悪いので明日食べると言ってろくに食べなかったので、結局3分の1以上、たぶん5分の2くらい棄てるはめになった。MOTTAINAI! MOTTAINAIけど仕方ないじゃないか。フライドチキンも、わざわざバーレル的なものを買ったというのに、ケーキとまったく同じ末路を辿り、しかもこっちは脂とニンニクのにおいが冷蔵庫を開けるたびにキツく、俺がいま欲しいのはみかんゼリーであってガーリックフライドチキンじゃねえだろ、と(頭も胸も)ムカムカした。かくして2017年のクリスマスは、だいぶんほろ苦い思い出となった。
 それと、本来なら明日より横浜への帰省に出発する予定だったのだが、身体が万全でないことと、それ以前にまだ保菌的な事情から大手を振って外を出歩いたらいけない身分ということで、変更を余儀なくされた。指定席のチケットをキャンセルし、年が明けてからの出発になった。そんなわけでちょっと久しぶりに、年越しは自宅で、家族4人で行なう。ちょっと久しぶりと言ったが、考えてみたらたった2年前のことだった。あの、前半横浜、後半出雲のダブル帰省を行なった年。懐かしい。
 そんなわけでこれはまだ今年の最終記事にはならない。どっこい、なるかもしれない。ちなみに今年はまだあれをやっていない。仲間内10大ニュース。あれを愉しみにしてくれてる仲間が、リアルに100人くらいいるので、やらないわけにはいかない。「リアルに○人」のところを何人にすればマジっぽいか、というのを必死に考えた結果、このような回答となった。最初500人だったが削ったのだ。でも80人くらいがよかったかもしれない。
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2017年12月24日

メリクリ

 クリスマス的な週末を過す。
 土曜日23日は、午前中にポルガのスイミングの送迎をする。9時30分までにスクールに行けばよくて、だから9時10分くらいに家を出ればいいなと考え、たっぷり寝ようと思い、寝ていた。そして起きたら9時だったのでびっくりした。既に子どもらと起きていたファルマンに訴えたら、「ちょうどいま起そうと思っていた」と悪びれずに言う。いつ僕が起きて10分で出発の準備が整うタイプの人間になったんだ、とショックを受けた。昨日まで接していた妻とこの妻は、果たして本当に同一のものだろうか、としばらく本気で疑った。超特急で準備をして、なんとか間に合わせる。こういうの本当に嫌、と昼過ぎまで根に持った。それなら自分で目覚ましをセットしておけばよかったじゃないかという話で、ファルマンにも最終的には逆ギレされてそんなことを言われたけれど、説明のしようはないが、そこはファルマンが朝いいようにしてくれる流れに、昨晩はなっていたのである。だから信用して寝て、8時40分くらいに起してもらえる気持ちでいたのだ。だからショックだった。
 プールを終えて帰った後、昼ごはんに天ぷらうどんを食べ、しばらくしたら義父母がやってくる。岡山にある義母の実家に顔を出したついでに、こちらへも寄った次第。今月はじめに行っていた沖縄のみやげをもらう。Tシャツ。黒くてシーサーのイラストで、OKINAWAとロゴが入っている。実に沖縄。残念ながらLサイズなので外には着て出られないが、部屋着として活用しようと思う。そのあとわが家で落ち合わせて、三女もやってくる。三女と顔を合わせるのはずいぶん久しぶり。髪を切り、少し大人っぽくなっていた。クリスマスイブイブということで、ケーキを買って来てくれる。みんなで食べた。おいしかった。それから全員でトランプなんかして、しばし和気藹藹と過した。年末年始には出雲勢と絡まないので、このあたりでライトに触れ合うことができてよかった。親戚が来てケーキを食べてトランプをする、というのがよほど幸福に感じたのか、途中でポルガのテンションがとてつもないことになる。この世にこんなにも嬉しそうな人がいるんだな、と感じるほどで、もちろんいいことなのだが、一抹の不安も覚えた。
 夕方になり義父母は出雲に帰っていった。岡山在住の義妹は、わが家で夕飯のお好み焼きを一緒に食べた。ちなみに義妹の岡山在住も、もうあと1ヶ月ほどのこととなる。これから引っ越しの手伝いなどで接触するのは間違いないが、もしものときのために預かっていた合鍵をこの日とりあえず返した。もちろんこの期間、結局いちども「もしものとき」なんてことはなかった。
 明けて今日は、昼すぎから、去年も行ったしまじろうのクリスマスステージの観劇に出掛ける。今年ももちろん僕は送迎だけで、その間は図書館に行っていた。去年は夜の部だったので図書館には行けなかったのだったと思う。今年はたっぷり1時間、館内を巡ることができてしあわせだった。舞台も愉しかったようでなによりである。
 帰宅してからは、クリスマスディナーの準備。子どもらと一緒にケーキを作る。今年もクリスマスは6号と5号の2段。苺も2パック。今年は苺が高くて嫌だった。苺なんてハウス栽培だろうに、なんで天候の影響を受けるのだろうかと思う。子どもたちに苺を乗せたりするのを手伝わせるが、ピイガなど指が短いので、やるたびに指にクリームが付き、そのたびに舐めていた。あれは作りながらずいぶん舐めたろうな。それを作り上げた後、料理に取りかかる。今年はチキンに関しては数週間も前にスーパーでバーレル的なものを予約したので、そこの憂いはなくてよかった。それ以外にパスタ、アボカドサラダ、フライドポテト、冷凍のピザなど。実にクリスマスらしいこってりメニュー。
 ファルマンはうっすらとポルガに風邪をうつされているのに加え、慢性的な寝不足や観劇の疲れもあり、なかなかつらそうにしていた。でも本当につらかったのはポルガだったらしい。料理を食べ、ケーキを食べてしばらくしたあと、トイレにこもり、下からも出たらしいが、上からも放ったらしい。まあこれは想像の範囲内だった。そもそも病み上がりで本調子でないのに加え、昨日からのテンションの高まりを見るだに、この結末は十分に予想できた。でもいつも通り出したらすっきりしたらしく、そのあとは疲弊した様子もなく飄々と寝支度をしていた。
 かくして子どもたちは無事に寝た。このあと例のあれが登場する。もう既に足の指あたりから、自分がそれへと変身しつつあるのを感じる。その抗えない強い力が、そろそろ僕にキーボードを打つのをやめるよう命じるので、ここらへんでフォッフォしようと思う。明朝はもちろん出勤があるため、子どもたちのリアクションは見られないだろうな。
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2017年12月22日

スンニとシーア

 
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